がっかり!憧れのリゾートホテル

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先週土曜の中日新聞夕刊「夕歩道」がこんなことを言っていた。>♪秋は名のみの風のぬるさよ~。衣替えも進まぬようで、いつもの年より、白っぽく見える往来、神無月。(中略)そう秋だから、真夏日なんて似合わない。入道雲も似合わない。10月になったのに、秋はもういないのか。<

 

いた、いた。秋はちゃんといた。けさのウォーキング。メンバー異口同音に「寒っ!」そして、ウィンドブレーカー着用。やはり、秋だ。おととい7日のラジオ深夜便によると誕生日の花はコスモスだった。山口百恵の歌でお馴染みのコスモスだ。♪淡紅の秋桜が秋の日の / 何気ない陽だまりに揺れている・・・・

 

ここ1~2年休耕田でのコスモスの群生がさっぱり見られなくなった。古い写真を引っ張り出した。秋の代表花だが、早いものは夏のあいだから 咲き始めている。 早咲き遅咲きがあり、外来品種だが、日本の風景に合っている。 「秋桜」の字は、主に秋に咲き、花弁の形が 桜に似ているところからの和名とか。葉は線のように細いが、台風などで倒されても茎の途中から根を出し、また立ち上がって花をつけるというほど強い。  菊科コスモス属。

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今回の旅行に乗り気になったもう一つのワケ。2泊ともに名の通ったリゾートホテルにしては料金が安いということだった。1泊目の裏磐梯グランデコ東急ホテル。緑に囲まれたヨーロピアンスタイルの外観が特徴。昨年12月にルームリニューアル。すべて33㎡以上の部屋の広さ。大浴場・露天風呂、屋内プールあり。ディナーは和洋折衷のコースメニューだった。総合点満点に近い。

 

2泊目の星野リゾート磐梯山温泉ホテル。会津磐梯山の麓、猪苗代湖を眼下に望むスタイリッシュな高原リゾートホテル。との触れ込みだが、行ってみて、これがあの星野リゾートかとがっかり。外観も内装も安普請を否めない。大浴場の脱衣場が狭い。露天風呂なし。部屋も30㎡で東急ホテルより狭い。部屋のバス、洗面所とトイレがセパレートになっているのが主流(東急ホテルはそうだった)なのに、ここは一体になっており、しかも狭い。食事は夜も朝もバイキング。総合点60点ぎりぎり。

 

同行者から、倒産物件を買って改装したのではとのささやきが聞こえるほどだった。このツアーを企画した旅行代理店の基準では東急ホテルが最上級Sランク。星野リゾートはAランクとなっているのも頷ける。

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いずれにせよ、名古屋・塩尻間の往復特急料金だけで正規に買えば、1万1千円弱、貸切バス3日間の走行距離約1200kmとホテル2泊で一人5万円はお値打ちだ。                               

 

両ホテル側も夏と紅葉・スキーシーズンの端境期のオフシーズンで少しでも客の欲しい時期だろう。旅行代理店もホテル側の足元を見て「憧れの星野リゾート東急ホテルに泊まる」とのキャッチコピーでエサを蒔いたということだろう。

 

星野リゾートの“あばた”が“えくぼ”に見えていたクマさんが、バカだったのか!?ただ、両ホテルとも強風と寒さやら、濃霧で朝の散策ができなかった。そんなことが、印象を悪くした一面もある。

蘇った日光東照宮

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台風18号が去った週末金曜から日曜までの3日間ツアーに参加。「華麗なる松島・会津磐梯・日光」と銘打った企画。名古屋から中央線特急ワイドビューしなの塩尻まで行き、そこからバスで周遊する旅程。宿泊は1日目が裏磐梯のグランデコ東急ホテル、2日目が磐梯山の表側の星野リゾート磐梯温泉ホテル。いつものご近所さん麻雀仲間と参加した。

 

 第一の目的は、中学の修学旅行以来行ってない日光東照宮の平成の大修理が終わって、どんな姿になったか見てみたかった。第二は、両日とも名の通ったリゾートホテルにしては料金が安い。第三は8年前の東日本大震災が起きて2週間後に不謹慎だという後ろめたさを引きずりながら中欧旅行に出かけてしまった。松島海岸の復興ぶりを見て罪滅ぼしをする機会だと捉えた。

 

台風18号日本海に抜けて温帯低気圧に変わり、東海地方は暑かったようだが、日曜日の日光などは土砂降りの雨だった。日曜日とあって晴雨に関係なく凄い人出だ。それがイヤだから平日の日程を選択したが、日曜の入るこの日程に変更させられてしまった。

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 表参道から奥に見える石鳥居をくぐり、神域へ。遠近法で鳥居が高く見えるよう、石段は上に行くほど幅が狭く、一段の高さも低くなっているそうだ。日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀るお宮が由来だそうだ

死後も江戸の真北にあたる日光から幕府の行く末を見守ろうとした家康の社は、三代将軍・家光により、現在のような豪華絢爛な姿になったといわれる。境内にある国宝、重要文化財の建築物には、どれも芸術作品のように見事な細工が施されている。

 

古今東西を問わず、権力者はキンキラキンに飾り立てることがお好きのようだ。なんとか大聖堂とかモスクみんなそうだ。ガイドの話によると、家光は5年の間に延べ400万人の人を使ってこれだけのものにしたとか。それに狩り出された民衆のことを思うと、超ブラック企業の親方より酷いことをしていたものだ。

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 日光東照宮と云えば、陽明門だ、2017年3月、国宝「陽明門」が44年ぶり、4年間をかけた大修理を終え、色鮮やかに蘇った感じだ。これほどの大修理はこの先100年はないとガイドは言う。

 

 高さ約11m、幅約7mの門は圧倒的な存在感だ。遠くから見ると、白と金色の印象が強い近づくと、おびただしい数の極彩色で精緻な彫刻に思わず言葉を失うといった感じだ。建築様式、工芸、彫刻など、江戸時代のあらゆる文化が凝縮されている。

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 「神厩舎(しんきゅうしゃ)」と呼ばれる神馬の厩(うまや)の屋根下に、あの有名な「三猿」の彫刻がある。、それにしても、なぜ厩に猿なのか?それは、猿が馬の病気を治したというインドの故事にならってのことだとガイドは語る。。

 

「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名な三猿の彫刻だが、実際には正面と側面合わせて8枚の彫刻があり、人の一生を描いているそうだ。「見ざる・言わざる・聞かざる」。悪いことは見ない、言わない、聞かないという、親から子どもへの躾を表しているそうだ。修理を終えた三猿は色鮮やかで美しく、まるで生きているような躍動感に満ちていた。

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 美しく修理された日光東照宮でもうひとつ有名なのが、「眠り猫」だ。家康の眠る墓所「奥宮」に通じる門の上部に刻まれている。「猫がのんびり眠っていられるほど平和な世の中になるように」との願いが込められているのだそうだ。

 

古ぼけたモノクロ映画のような、60数年前の修学旅行のときのおぼろげな記憶の東照宮陽明門が、三猿が、眠り猫が、カラーリメイク版のようになって強烈な印象で蘇った。もうひとつのおぼろげな記憶、「鳴き竜」は撮影・録音禁止だった。ガイドいわく。名古屋からのお客様が来たら、竜は鳴き、登り竜になる。ドラゴンズ来年の優勝間違いなし。ナイス、リップサービスだった。

斜(しゃ)に見る「高齢運転者の事故防止」

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ラジオ深夜便によるときょう10月2日の誕生日の花はキンモクセイだ。いつもなら、この時期、ウォーキング中やグラウンドゴルフのプレイ中にどこからともなく、あの独特な芳香が漂ってくるが、今年はまだその気配がない。

 

 それまで匂わなかったのに、ある日突然にどの花も一斉に匂い出し、咲いた後で雨風があるとあっけなく散ってしまうのがキンモクセイの特徴のようだ。誰かが云っていた。キンモクセイの香りは、一昔前のトイレの芳香剤の匂いだと。

 

 2010年の9月30日から中国の桂林に行っていた。桂林の空港に降り立つとキンモクセイの香りが漂い、ガイドさんがこれは桂林の花、キンモクセイの一種「桂花」の香りです。と説明していたのが思い出される。町中キンモクセイの香りが漂い、土産物の店では桂花茶が店頭に並んでいた。この桂花、香りはキンモクセイと同じだが木は随分大きいものばかりだった。

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先月の21日から30日まで秋の交通安全運動だった。重点の2番目に「高齢運転者の交通事故防止」が掲げられていた。今年になってからのことだったと思うが、75歳の杉良太郎、82歳の加山雄三が運転免許を返納したことが話題になった。世間や物事を斜めの視点で見るクセの多いクマさん、各メディアで取り上げられている「高齢者の交通事故防止」とは異なった切り口で考えてみた。

 

1.

「猫を追うより皿を引け」式発想で免許を取り上げてしまうことがもっとも手っ取り早い事故防止策だろう。有名人が返納したともなれば話題にコト欠かない。しかし、反作用も拡散するリスクがあると思う。あの人たちはお抱え運転手がいる身分だ。公共交通から見放された過疎地の庶民はお手上げだ。などと地方自治の問題に拡散して行く。

 

2.

およそ半世紀前、年間の交通事故死者が1万数千人を超していた「交通戦争」時代から昨年2018年の死者は約3500人まで減少している。事故防止のために知恵を出したと云えばそれまでだが、多大な犠牲者を出した後追いでガードレール、信号機、標識などハード面の整備が進んだ。シートベルト着用義務、飲酒運転取り締まり強化が進んだ。

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3

「あの交差点、信号機がつくと安心だね。だれか犠牲者が出ないとつけてもらえないかなぁ」こんな会話がささやかれるほど、後追い行政だ。今やAI(人工知能)が人の心まで読みとってしまう時代だ。ブレーキとアクセルのペダル踏み間違い事故の多発も、加齢による足の筋力の衰えや股関節の可動域の狭まりでペダル操作に支障がでることが究明されていれば・・・。と思いたくもなる。高齢運転者講習も認知機能だけでなく身体の衰えにも目を向ける必要があると思う。

 

4.

人生百年時代、「高齢運転者の事故防止」は交通と福祉と地方自治が入り込む大きなテーマだ。犠牲者を踏み台にした後追い行政でなく、AI時代の先取行政を期待したい。その渦中でクマさん、どう泳いだらいいかな?

「メイパパさん、貴兄もか!」

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10月に入ったと云っても、日中はエアコンなしでは過ごせない。グラウンドゴルフでは途中の水分補給なしではやりきれない暑さだ。28日の土曜の中日新聞の「夕歩道」欄からの引用。

 

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。ヒガンバナ。秋の彼岸のころに咲くからヒガンバナ。いつもなら、近所の土手を深紅に染めるころ。猛暑のせいか彼岸過ぎても見かけないなと思っていたが、ぽつりぽつりと現れた。(途中略)

そうだよね。野の花は、暦を見ながら、温度計の目盛を見ながら咲く日を決めるわけではない。暑さ寒さ彼岸まで。涼風を体で感じて咲き出した。ヒガンバナ、咲くべきときを知っていた。<

 

 わが家から車で5分。豊田・宮上の逢妻女川堤防のヒガンバナ。毎年お彼岸の中日、秋分の日に行くと深紅の絨毯だった。今年はグリーンの堤防。およそ1週間後の29日の日曜に行ったら、「夕歩道」の筆者が言うように涼風を体で感じただろうか、7~8分咲きだった。月曜の朝刊県内版には半田・矢勝川や岡崎・乙川でも咲き出したことを伝える写真が載っていた。

 

9月までは8%の消費税が10月からは10%に。9月までが夏。10月から秋。となるのもそう、遠いことでもなさそうだ。

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 2012年にトルコ旅行をご一緒して以来おつきあいさせていただいている同い年のメイちゃんパパさん、先日のブログでこんなカキコがあった。> 2008年9月以来ブログの投稿が4000回になった。心臓と脳の手術を行った日各1日と海外旅行の時以外は毎日投稿した。 しかし、最近、毎日投稿するのはシンドクなって来たので、この機会に隔日投稿に変更することにした。<と。

 

「メイパパさん、貴兄もか!」の心境だ。こちらは2006年6月からスタートでいま3700日余り。途中パソコンが落雷に遭ったり、旅行や入院でサボリも多く、去年の9月からは週休4日つまり週3日のカキコ。理由はメイパパさんと同じだ。寄る年波には勝てん。

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 ブログを始めた頃のクマさんも気合が入っていた。12年前の2007年10月7日の日記の一部だ。

 >金曜の午後、野良仕事を終えて薄着のままでパソコンのブログを読んでいたら体が冷えたのか急に寒気を感じ、ふるえが止まらなくなった。午後からの診察でかかりつけの先生に診てもらって、金曜の夕方から土曜の一日中と今朝まで食事以外は寝てばかり。 よくもまぁ〜こんなに眠れるもんだと我ながらあきれるばかりだ。


小学校から大学まで16年間、サラリーマン時代40年間自慢じゃないが病気で休んだことは1日もなかった。(大学時代欠席は多かったが病気によるものではない)
人間、気が張っていたらちょっとやそっとで病気にはならないし、たとえ病気にかかったとしても気力が充実していたら学校や会社を休む気が起こらない。 それが、リタイヤーするとそんなワケには行かない。精神的には気の張りつめたものがないこと、肉体的には老化。


少々、オーバーな言い方かもしれないが、今心の支えとなっているものと言えばブログである。特別な理由のない限り毎日カキコをすると決めているのが3日間も穴をあけるワケには行かない。<

 

12年前の日記を読んで、一念発起。今週は金~日の3日間旅行に行くので、月~水の3日間連続投稿とし、週3日のカキコのノルマを果たすことにした。

 

見直したW杯ラグビー

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28日の土曜夕闇迫る6時頃、日本国中が沸きに沸いた。ラグビー日本代表が、真向勝負でアイルランドを破り金星を挙げた。午後、所要で豊田に出向いた。スタジアムで、夕方ラグビー南アフリカナミビア戦が行われるので駐車場が心配で電車で行った。

 

キックオフが6時45分というのに、1時半頃に豊田着の電車はほぼ満員、レプリカユニフォームの連中があふれていた。駅前通りの歩行者天国や、スタジアムと同じ芝生を敷き詰めた芝生広場は土曜日ということもあって賑わっていた。

 

用を済ませ、4時頃に駅へ。到着電車は通勤ラッシュ並の混みよう。帰りの切符を買い求める長蛇の列でコンコースは、まともに歩けるような状況でなかった。先日の日記にW杯ラグビーが始まるというのにその会場のひとつとなる豊田の街は盛り上がりがない。とカキコをしたが、いざ蓋を開けてみると、それが杞憂だったとの思いだ。

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 けさのウォーキング。メンバーのひとりが土曜日の豊田の駅前の興奮のるつぼの中にいて,その話で持ちきりだった。スポーツバーでの国内外の人達の騒ぎっぷりや飲みっぷりに呆気にとられたという。

 

豊田スタジアム、23日のウェールズジョージア、28日の南アフリカナミビアいずれも3万4.~5千人の観客だった。馴染みのない国同士の試合で、よくぞこれだけの観客が集まったと感心する。日本開催でのにわかラグビーファンだけでは、これだけも集まるまい。伝統のあるスポーツだけに全世界に確固たるファン層がいるということだろう。とかく評判のよくないトランプ氏でも確固たる支持層に支えられているのと同じように。

 

ナミビアは初めて聞く国だった。調べたら南アフリカの隣国だった。南アフリカはかつてアパルトヘイト(人種隔離政策)で有名だったし、トヨタから赴任していた知人がいる。ウェールズはカミさんのスポーツジム仲間の奥さんがウェールズの人で、何年か前に彼女の誕生パーティーをわが家でしたことがある。ジョージアは今場所大関から陥落した栃の心の出身国だ。世界は広いというものの何らかのかたちで色々な国と関わりを持っているものだ。国際化した日本を再認識した。

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ところで、日本代表の金星。各メディアが伝えているように、4年前に南アフリカから挙げた金星とは色合いが違う。前回はラストプレーでの劇的な逆転。今度は気合十分な横綱と組み合って押し切った。重い金星だ。そして、前回は金星を挙げながら8強に進めなかった。今回は2連勝している。続くサモアスコットランド戦に8強へのカギがかかっている。来月5日のサモア戦は豊田スタジアムで行われる。収容人員4万5千人の豊スタ。前2試合の外国同士で3万4.~5千人の観客だった。日本代表戦だったら満員札止め間違いなしだ。

 

スポーツに熱狂し、一喜一憂する様は幸せな光景だ。日本代表の快進撃がこのまま続き、さらに大会を盛り上げてほしいものだ。今は亡き日本ラグビー界の先人達に遺志を引き継ぐためにも。

 

ラグビー通でもないクマさんでも名前を知っている宿沢、平尾といった伝説のラガーたちは既にこの世にいない。そのエピソードが教科書にも扱われそうな早大ラグビー部出身の奥克彦氏が外務省課長時代、ときの森喜朗首相にW杯招致を働きかけたが、関係者の大半は冷ややかだったという。その奥氏がイラクで凶弾に倒れた後、元首相はじめ多くの仲間が彼の遺志をついで、今回の日本開催になったことを思うと、余計にそんな気がする。

伊勢湾台風に思う

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残暑が続く中、今年は開花が遅いとメディアから流れていた彼岸花も、きのうのお彼岸明けを境にやっと開花が見られた。けさの家庭菜園の土手だ。咲いている株より蕾のものの方がはるかに多い。

 

きのう9月26日は台風の特異日だ。クマさんの日記を書き始めて13年、毎年この日には5000人余りの犠牲者を出した伊勢湾台風のことをカキコしてきた。それほど強烈な印象を残した災害だった。とは言っても、内陸部の多治見は大した被害もなく、土曜の夜の台風上陸で月曜からは普段通りで学校も休みにはならなかった。高校3年の受験勉強中のことだった。

 

強烈な印象を残したというのは、テレビの力ではなかったかと思う。伊勢湾台風の5年前昭和29年の同じ日の洞爺丸台風では1700人余りの人が、1年前の昭和33年の同じ日の狩野川台風では1200人余りの人が犠牲になっている。それらの情報は新聞とラジオだけだった。

 

伊勢湾台風のあった昭和34年は明仁皇太子(現上皇)と美智子妃殿下(現上皇后)のご成婚パレードがありテレビが爆発的に普及した年だった。わが実家もそのブームにあやかったのだと思う。地元テレビ局が活躍して被災現場を写していた記憶がある。改めてテレビの映し出すリアル性の力を思い知らされたものだ。

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振り返ってみると、甚大な被害を出した洞爺丸台風伊勢湾台風を教訓に大きな取り組みが動き出したのだ。洞爺丸台風では函館・青森間の青函連絡船が沈没して日本最大の海難事故となった。その災害を機に青函トンネルの機運が高まり、難工事の末平成63年に開通した。連絡船で4時間かかっていた函館・青森間が、北海道新幹線の開通で約1時間と大幅に短縮された。

 

一方、伊勢湾台風の後、国民の生命や財産を守るために、国や地方自治体などが協力して防災体制を整えて行く災害対策基本法がつくられた。以後、犠牲者が1000人を超す台風被害は出てないそうだ。

 

だけど、最近は異常気象によって「想定外」という災害が増えている。この想定外の事態も、どれだけ想定内に収めて考えられるかがポイントだと思う。その時に役立つのが過去の教訓を生かすことだろう。

 

ナンバンギセルは9月22日の誕生日の花。花の姿が南蛮人といわれたポルトガル人やスペイン人などの船員がくわえていたマドロスパイプに似ていることからのネーミングだ。

 

 草丈10〜20cm。赤紫色の美しい大きな花がススキの根元でうつむいて隠れるように咲く。この花は葉緑体を持たないため自活できず、「全寄生植物」といって、自分では養分を作らず、ススキやミョウガに居候して栄養を調達する。

 

 

 

旅先で味わう本物の秋

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お彼岸3連休明けの24.25の両日、地域の生き生きクラブの1泊バス旅行に出かけた。下呂温泉泊まりで馬籠・妻籠と高山・白川郷散策の旅だった。メンバーの新陳代謝の少ないクラブだから、平均年齢は上がる一方だ。事前にアンケートを取ったら、遠くに行くよりのんびりゆったり旅行をとなった。みんなの意見が反映されてけっこう、けっこう。

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23日の秋分の日に、毎年この時期に見ごろとなっている逢妻女川の堤防の彼岸花の写真を撮りに行ったら、堤防はまだ青々として撮影どころではなかった。25日の朝日新聞天声人語。今年は温暖化のせいで、全国18ヶ所の主要彼岸花群生地のうち14ヶ所ではお彼岸というのに彼岸花が咲いてない。この分で行くと、9月までが夏の区分に入ることになるのも、そんなに遠い事でもない。そんなことが書いてあった。

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夜のニュースでは東海地方の彼岸花の開花が例年より4~6日遅いことを伝えていた。下界がそんな状況でも、旅行先の妻籠・馬籠や下呂・高山そして白川郷は標高500~700m。ひんやりとした風に、まばゆいばかりに光り輝くすすき、花を揺らすコスモス。立ち並ぶ稲架(はさ)、その背後に合掌造りの集落。まさに日本の秋の原風景だ。

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馬籠宿の街道沿いの溝を流れる心地よい水音とともに、下界のウォーキングではあまり見かけない秋の花、萩(下界ではヌスビトハギばかり。ここは本物)、秋海棠(しゅうかいどう)、シュウメイギクが目を楽しませてくれる。

 

そんなこんなで、旅行に参加したメンバーはこれらの観光スポットへは初めての人はまずいない。一度や二度は来ている。スポットごとの由来やデータなどどうでもいい人達ばかりだ。いつになく遅い秋の訪れの下界から”秋たけなわ”の風情を楽しむ旅行となった。