棒の手


空気がからっとした秋晴れ。昼間は日射しに暑さを感じるほどだ。


きのうの神社の秋祭りでは、毎年のことながら棒の手の演技が奉納された。新入りの氏子役員さんが、そもそも棒の手とは・・・などと先輩役員である自分に質問してくるので、知ったかぶりして説明した。6年前に猿投の棒の手会館に見学に行った際、ガキ仲間のブログに投稿した。その記憶がある程度残っていた。


クマさんの日記は’06年6月から始めたが、それ以前の約1年はガキ仲間のブログに投稿しその忘備録を半年ごとに製本していた。'06年2月23日に「棒の手」と題して投稿。以下はその日の記述。



豊田の棒の手会館に行った。棒の手とは6尺ほどの樫の棒と木刀を使った武術。室町時代頃から尾張三河の国では神社や寺に奉納される馬の警護のために火縄銃や棒の手で武装し、境内ではその武術も奉納されるようになった。馬の警護のための武装というのは、農民が武装蜂起するための隠れ蓑だという説もあるという。


農民の自衛のための武装も、やがては五穀豊穣を祈願する芸能になった。棒の手会館では、愛知県指定の無形民俗文化財である棒の手や、献馬を飾る馬飾りや、武具、衣装が展示してある。


この「棒の手」、文化財として保存されているのは愛知県だけで、唯一の県外は昔尾張藩の領地であった岐阜県多治見の小木の諏訪神社だそうだ。小木といえばわが平和中学の校区でないか!列車通学していた小木の友達も何人かいた。全然知らなかった。


60過ぎてもまだまだ学ぶことがいっぱい。そう、簡単に死ねん。「オマエさん、学んだことをあの世へ持って行くつもりか?」「オイ、オイ、それを言っちゃぁ〜 おしめぇ〜だよ。実も蓋もネェ〜話だ」