歴史散歩 小牧山城


朝からのあいにくの雨。生涯学習講座「歴史散歩」は小牧山城。ボランティアガイドさんの案内で小雨降る小牧山を散策。濃尾平野の北東部小牧市の中心地にあり標高86mの山。そこにかつて織田信長の居城であった小牧山城があった。今年は築城450年目の年にあたる。現在は山全体が公園となっている。山頂にある城は、城を復元したものではなく名古屋の実業家の寄付により京都飛雲閣を模して1967年に建てられた小牧市歴史資料館。



 ●小牧山城にはふたつの顔があった。ひとつの顔が織田信長が築城した小牧山城。もう一つの顔が徳川家康が改修した小牧山城


1. 織田信長が築城した小牧山城
1560年、桶狭間今川義元を討った織田信長は、三河の徳川と同盟を結び美濃の斉藤家を攻略の対象とした。信長は頂上から美濃を一望できる小牧山に城を築き、清須から居城を移し小牧山南部に城下町を築いた。1567年、信長は美濃を攻略し、稲葉山城に居城を移して小牧山城は廃城となった。


2. 徳川家康が改修した小牧山城
本能寺の変で信長が自刃した後に信長の家臣であった羽柴秀吉が台頭してきた。信長の長男信雄は家康と同盟を結び、秀吉に対抗した。1584年春犬山城を攻略して南下しようとする秀吉に対して、清須城に入って信雄軍と合流した家康は小牧山を本陣として秀吉と対峙した。家康は信長が築いた城の跡に改修を加えて陣城とした。秋には秀吉と信雄、家康と秀吉も和議し小牧山城は再び廃城となった。

江戸時代に入ると、小牧山は家康ゆかりの地として尾張徳川家の手厚い保護を受けた。


 ●素人には物足りない史跡
素人が目でみて「へぇ〜」と驚くような史跡がほとんどなく、あえていえば山頂付近の斜面の石垣が信長築城時のもので城郭石垣のルーツということくらい。山頂の城が復元されたものかと思って行ったら、歴史資料館と聞いてがっかり。


1584年秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いでこの時、「城」とみなせるほど強固な陣地が築かれた。秀吉の大軍も容易に手が出せず、焦って長久手方面へ突出して壊滅する事態となった。急造「小牧山城」は、徳川勝利の一翼を担った。といった点はインパクトのある史実だろうが目に訴えるものが少なく物足りない。