ある通夜での説教


日差しは鈍いが、風もなく蒸し暑い一日。300人ほどのジジババが集まり、繰り広げられるグラウンドゴルフの大会。主催者はゲーム開始前に「熱中症対策」のチラシを参加者全員に配るほどの気の使いよう。結果、故障者も出ずほっとしたことだろう。


毎朝のウォーキング、どのコースの時でもほぼ間違いなく通る農家の庭先に白い大輪のハイビスカスのような花が、このところ毎朝数輪咲いている。花径は20cmくらいのビッグサイズだ。アメリカフヨウだ。家主の話によると、咲いたその日にしぼんでしまう1日花で夏の間は次々につぼみができて開花するようだ。




「人生は長さだけでは語られるものではない。広さ、深さと一体となって語られるべきものである。」これ、坊さんの説教の要約である。 亡くなられた方には申し訳ないが義理で参列する通夜・葬式でのお経の時間ほど退屈なものはない。 先日の通夜では、ご住職のお経より説教の方が長いくらいだった。そして、含蓄のある言葉での説教は聞き応えがあった。


ご住職は、ご遺族から亡くなられた方の生前の生き様を詳しく聞いておられたようで、心の広さ、懐の深さが職を通じて大勢の人たちを更生させて、心安らかに彼の岸へ行かれた。長さは平均寿命、広さ、深さは人並みはずれたスケール。いい人生を送られた。 ま、そんな話だった。


とかく、葬式宗教などと揶揄されるがこのご住職の様に”人の道”を説いて行くのが本来の宗教でないだろうか。カミさんが、以前絵を描きながらしばしば瀬戸内寂聴さんの法話をテープで聞いていたが、このご住職の話を聞いてまた寂聴さんも聞いてみようかという気になったようだ。