さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉


きのう5日は二十四節気の「清明」だった。万物が清められ大気も寒からず暑からず、快適な時節と云われる。ところが、今週の週間天気予報にはお日様マークがまったく見当たらい。おまけに寒の戻りの予報まで出ている。暦の上と現実ではこんなにも違いがある。


日曜は終日雨。花散らしの雨だ。月曜のきょうも厚い雲に覆われた一日。公民館の玄関前も桜の花びらの絨毯を敷き詰めたような装いだ。公民館の掃除当番さん、きれい好きの潔癖症だがさすがにきょう敷き詰められた絨毯を掃くような無粋なことはしてなかった。


きょうは小学校の入学式。自分の小学校もそうだったし、テレビや映画に出てくる学校の校門の脇には大概桜の木がある。入学式に満開の桜。これがないとサマにならない。そんな感じがする。きのうの雨は花散らしだったが、どうにかサマになるくらいに散らし方を手加減してくれたようだ。



「さまざまのこと思ひ出す桜かな」芭蕉の有名な句だ。「古池やかわず飛び込む水の音」と同様だれにでも作れそうな平凡な句に思えるが、読む者によって浮かぶ情景はさまざまだ。この辺に芭蕉のすごさを感じる。


今年は戦後70年という節目の年だけに、ことのほか旧海軍の兵舎だった愛知少年院の桜を見るにつけ、美しさもさることながらパッと咲いて潔く散って行った若者たちのことが思いめぐらされる。昭和20年4月から6月までに3回ここから神風特攻隊が出撃し63名が若い命を落としている。


今、少年院になっている場所は海軍の官舎、兵舎の一部。桜はその当時植えられたもの。潔く散る桜とここから出撃した若い命がはかなくも散っていった事実に因縁めいたものを感じざるを得ないのだ。