乃木服  正露丸


きのうの五月晴れとはうって変わって朝から梅雨空。夕方からはとうとう降り出した。グラウンドゴルフのホームグランド桜公園の駐車場の植え込みではノカンゾウが咲き始めた。数年前まではグランドの土手一面に咲き乱れ、ニッコウキスゲの群生と間違えるほどの勢いだった。手入れが行き届かないせいで、今ではひっそりと咲いている程度になってしまった。


この時季がノカンゾウをはじめとするユリ科の開花時期だろうか、ウチの庭でもユリが咲き出した。このユリの花の色は美しくない。好きになれない。ノカンゾウの方が多彩で見栄えがする。



書棚を整理していて加藤秀俊著「車窓から見た日本」(昭和38年発行)が目に留まった。50年以上前のことでどんな内容だったかほとんど覚えていない。ただ一つだけ記憶に残っている。車窓から「乃木服」という学生服の野立て看板を見るが、学生服は日露戦争の軍服がルーツで乃木大将の名を借りた商品名であることをこの本で知ったことくらいだ。      


新幹線もまだ走っていない当時だから、車窓から眺める景色から色々なものが目に入り、そこから日本人の生活や智慧が見えてくる。「明治が近い野立看板」の項だけをざっと読み返した。日露戦争の勝利で軍事文化が国民風俗の中に浸透していった結果、制服制帽が一般化した。ということらしい。



正露丸」のホーロー看板も車窓から見かけたものだ。この商品は今でもある。日露戦争に出征する兵士に携行させた薬だ。当時は「征露丸」と書いていたようだ。乃木服も正露丸日露戦争の産物なのだ。


昭和30年代後半、当時の中小企業はマスメディアを利用して宣伝できる力はなく野立て看板が身の丈に合った広告媒体だった。半世紀後の今、広告媒体としてのマスメディアはじり貧で、インターネット広告やダイレクトメールが成長途上にあるようだ。野立て看板は日本経済の一断面を表す証拠物件であり、学生服や正露丸や仁丹は風俗史の生き証人と云えるだろう。