防災訓練に思う


台風が直接来襲したわけでもないが、昨夜来の雨も上がって台風一過の秋晴れの雰囲気だ。ひんやりとした風に青空。日差しはやはり、夏の名残で強い。



土曜日に地域のコミュニティー主催で防災訓練があり、例年の消火訓練のほかに今年から新たに避難所開設・運営の訓練があった。災害で避難所暮らしが余儀なくされるようになった場合、行政がお膳立てしてくれるわけではない。


避難者同士で自主的に運営するのだ。避難所生活も他所事ではない。自分にもいつ降りかかって来るかわからない。その時の肉体的にも精神的にも襲い掛かる苦痛はほんの1時間ほどの訓練からもひしひしと伝わってきた。

      


地域の中学校区下にある3町内2600世帯7700人のコミュニティーで参加したのはおよそ180人。会場は小学校の体育館。体育館内に各町毎のスペースが与えられる。その中で10世帯単位の組をつくり組長を決める。        


運営組織は総務、連絡・広報、食料・物資、保健・衛生、要配慮者支援、施設管理、屋外支援、ボランティアの8班。班員は一定の人数を各町横断的に派遣する。班長は各町で分担する。




組長を決めるのも、運営組織に派遣する人選も、そして班長を決めるのも自主的にしなければならない。日頃馴染みのない人たちの中で決めて行くことは大変だと思う。訓練の気安さからジャンケンで決めるグループもあったり自主的に買って出る人もあったりで和気あいあいのムードの中で決まっていた。本番だったら・・・。ぞっとする。


避難所生活のスタートの時点でさえ、想像するだけでぞっとする。その上、窮屈なスペースでプライバシーもあってないような日常生活を考えたらぞぞっとする。参加者は誰しもそう考えたと思う。そして、災害が起きるのは仕方ない。こんな生活をしなくてもいいような備えだけは絶対しておこうと思っただろう。



初めての訓練でみんながそう思えばまず、訓練の意義があったのではないだろうか。今後も継続すべきだ。ただ、とかく起きがちなことは、参加するのが毎年同じ人に限られてしまうこと。これは避けなければならない。半ば強制的にでも全住民が参加すべきだ。


こうした避難所生活で全体の決め事に非協力的だったりするクレーマーにかぎって訓練に参加しないのが世間の常だ。できるだけ多くの人が訓練に参加する一方で行政で「防災リーダー」を養成することをしているかどうか知らないが、市内各コミュニティーに一定人数のリーダーを配置することも併せてすべきだと思う。そんなことを感じた防災訓練だった。