いい夫婦の日が、近づいて思うこと


多少うす雲がかかる程度で日中はおおむね晴れ。カラッとした天気だ。麻雀をしているとそれがよくわかる。牌を並べたり、つもったりするとき、ある程度湿気がないと滑って手につかない。きょうは、そんな感じを抱くほど乾いた空気の日だった。


今年もまもなく11月22日、「いい夫婦の日」だ。もう、10年以上前だったと思う。リタイヤーした年ではなかったかと思う。カミさんと映画を見て話し合ったことを思い出す。映画は渡辺謙樋口可南子演ずる「明日の記憶」。 人生の円熟期に突然、若年性アルツハイマー病を宣告された渡辺謙とその妻樋口可南子の夫婦の愛と絆を描いた映画。


この映画の夫婦、その頃テレビで放映された渡哲也、松阪慶子の「熟年離婚」の夫婦、そして我が夫婦。この三夫婦の共通項は、夫が家族を省みない企業戦士だ。企業戦士の妻としてそれぞれの妻を採点した。



アルツハイマーの夫から「俺が変わってしまっても、俺が俺じゃなくても平気なのか?」といわれ「私がいます。私がずっとそばにいます」という樋口可南子は ○。


夫の退職金を半分よこせなどとわめいたりしたが最後には夫に背中を押されて離婚する松阪慶子。これは ×。


最後に我が夫婦。カミさんがアキレス腱を切って入院していているのも知らず、マージャンで朝帰りするようなスネに傷を持つ夫にえらく生命保険をかけているカミさん。 「私がずっとそばにいます」などといったセリフが期待できるかどうか未知数だ。



そこで、まずは多少の波風がたっても無事に金婚式までたどりつくことが大前提。その時点で採点しようと決めた。あれから10年。その金婚式が来年に迫ってきた。この10年の間に夫婦間の考えも随分と変わったような気がする。現役時代は扶養者と被扶養者といったように、妙に力関係を意識していたが、いまはそれがない。


互いに好きなことをやって、元気で長生きすることが第一。力関係なんて大した問題でない。人生第二ステージではそんな考えが主流となってきた。こんな枯れた関係のところに採点することも無意味なような気になりかかっている。