建国記念の日に思う

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「春の雪」と「光の春」が隣り合わせの週末土日の空模様だった。土曜の朝、目覚めると四つ池から丘陵地一帯はうっすらと雪化粧。翌日曜は風こそ冷たいが、まばゆい日差し。そんな日差しを受けて庭の花壇で黄色いクロッカスが今年初お目見えだ。



11日の誕生日の花はマンサクとラジオ深夜便。春に他の花に先駆けて咲くので”まず咲く花”ということから、だんだんとマンサクになっていったらしい。細長いひも状のちぢれた花だ。写真は何年か前に緑化センターで撮ったもの。
 

土曜の11日は「建国記念の日」で祝日だった。サラリーマンや学生は八ッピーマンデーにならず、損した感じだろう。今年は、この日のようなアン八ッピーマンデーが4日もあるとラジオで云っていた。サンデー毎日には関係ねぇ〜や。それにしても、この日は報道価値が少ないとみえて、さっぱりニュースで取り上げられてない。


ラジオではさらにこんなことも伝えていた。あるアンケート調査の「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」に対して、神武天皇と正解できたのは、3割以下だったという。つまり、約7割の人は祝日の趣旨を理解しないまま休んでいるということだ。



思い起こせば、この祝日ほどその趣旨を理解する人が3割以下と低く、左右の政治勢力からは政治利用され振り回されてきた祝日も珍しい。そして、去年かおととしの日記にもカキコしたと思うが、「の」の字1字が守旧派と革新派を妥協させた「建国記念の日」。ワケあり祝日だ。


神話の神武天皇即位の日を戦前は「紀元節」としていた。これを「建国記念日」として復活させたい守旧派軍国主義につながる亡霊をブチ壊したい革新派を妥協させてのは、「建国を記念するための祝日」としてのたった1字の「の」なのだ。


なんにせよ、「建国記念の日」といっても国主催の行事があるでなし、この日を機に「改憲」「護憲」の集会が各地で開かれるくらいにしか思えない。「国を愛する心を養う」なんていう本来の趣旨から遠い所での行事ばかりが盛んだ。「愛国心」が死語になりつつあるような気がする。