毎年よ彼岸の入りに寒いのは

]
いつの間にか朝5時半には外は明るくなっている。気がつけばあさって17日は彼岸の入りだ。暦の上では「寒い冬」から「暖かな春」に移り変わる曲がり角に差し掛かっている。それにしても、体感的には緩んだとはいえ風の冷たさがまだまだ身に応える朝のウォーキングだ。


とはいえ、自然界は暦に忠実のようで、3日前の日曜に1.2分咲きだった家庭菜園の土手のサクランボがきょうでは7.8分咲きだ。人間、喜寿を迎えようとする年齢ともなると、70数年付き合ってきた暦には惰性で忠実になるものだが、自然環境の変化にはどうしても鈍感になるようだ。



きのう、名古屋に出かけた。もう春だからと、コートは着ないでジャケット姿で。通勤帰りの人々は、ほとんどコート姿だ。この寒さで4人のおじさんが揃って”ジャケット姿”。「年寄りの冷や水」を浴びせかけられないかと案じながら・・・。そこで思い出したのが、この句だ。もっと早く気がつけばよかった。何年か前の日記に引用したことがある。


毎年よ彼岸の入りに寒いのは  正岡子規


「お母さん、お彼岸だというのに寒いなあ」と言うと「毎年よ・・」と母がこの句のように答えられたという。これが現代口語体俳句の基本形になったそうだ。 正岡子規は春の彼岸を迎える度に、お母さんを偲び、供養の手向けをしていたことだろう。



本当に月末には桜が咲くかと心配する人には実に説得力のある句だ。毎年この時期になると思うことだが、彼岸の入りから明けまでの1週間ほど劇的な季節の転換は他にないと思う。冬の流れからいっきに桜が咲き、うららかな春の流れに変わる瞬間がこの”お彼岸ウィーク”だ。確かに「寒い冬」から「暖かな春」へのヘヤピンカーブと云おうか、V字的な曲がり角だ。


きょう3月15日の誕生日の花はラッパスイセンラジオ深夜便。早咲きの白い花のものは12月下旬くらいから咲いている。この黄色いイトスイセンは遅咲きで、2.3日前から縁石に囲まれた庭の片隅で咲き始めた。門の前に20〜30本群生しているものはまだ咲いていない。これが咲き出すと周囲一帯に甘い香りを漂わせる。