「昭和の日」に思う


もう1年の三分の一が過ぎてしまった。皐月5月だ。おととい29日土曜の昭和の日から大型連休が始まった。うまく有給休暇を組み込めば9日間も休める連休の前には、なり物入りで始まったプライムフライデーまったく相手にされなかったようだ。線香花火で終わらなければいいが・・・。


われら「死ぬまで連休族」にとっては、「大型連休」だの「GW」だの、ましてやフライムフライデーなんて「ちいせぇ〜、ちいせぇ〜」こんなときこそ、われわれの年金や健康保険を下から支えて下さっている皆様方のリフレッシュの邪魔にならないよう、外出は控えなければなるまい。



大型連休の中休み。今朝の夜明けはひんやりとした空気、目にも鮮やかな新緑の芽吹き、庭では満開の牡丹の妖艶さ、10日ほど前までは葉っぱが赤茶けてしわくちゃになっていたスズランが見事に生気を取り戻している。自然の様相も、ウォーキングで行き交う人達の服装も、東名高速を列をなして走り抜ける車の様子もどこか普段とは違った雰囲気が漂っている。


ラジオ深夜便の伝える誕生日の花、4月30日は牡丹、1週間ほど前の日記にアップしたが、そのときは3輪しかさいてなかった。きのうの朝は6輪咲いていたので再度登場。そして、きょう5月1日は鈴蘭。花が、まさに”鈴”そのもの。
これも、先日アップしたが、けさ10株ほどそろって咲いていたので再登場。



「昭和の日」に因んで、昭和の歴史を振り返ってみるに、足かけ64年に及んだ昭和という時代に、日本人は有史以来の最大の戦争を体験し、敗戦から経済大国へと、奇跡の復活を成し遂げた。戦争が起きたことは大変不幸なこと。これは云うまでもないが、世界に名だたる経済大国になったことに日本人はもっと自信と誇りを持っていいのではないか。


進歩的文化人やジャーナリズムが余りにも自虐的に煽り立てることから近隣諸国の抗日運動に付け入るスキを与えているのではないだろうか。



昭和天皇といえば、戦後占領軍の総司令官マッカーサーに対して戦争の全責任は自分にある。自分はどう処分されても構わないからから国民の衣食住を考えてやって欲しいと直談判されたエピソードは死を伴うほどの責任を引き受け、国民を思いやられるる態度としてあまりにも有名だ。


自分は昭和天皇が戦後日本各地を巡幸され復興に励む人々と親しく言葉を交わされたことに心を打たれた。普通、世界の国では、戦争に負けてしまえば敗戦国の王は、殺されるか、国外追放されるのが一般的だ。それなのに日本の天皇は、戦後たいしたお供も付けずに無防備なまま各地を巡幸されている。その覚悟たるや尋常ではなかったと思う。


昭和天皇もお亡くなりになられて、来年で30年になる。「昭和は遠くになりにけり」