同窓会談義


秋雨前線が停滞しているせいだろうか、きょうは午後から雨。蒸し暑い。多治見で中学校の同窓会。卒業生230人で51人が集まった。今年米寿を迎える恩師も出席。我々が今年喜寿を迎えるところからダブル長寿祝いも兼ねての会だった。


きょう9月7日の誕生日の花はコルチカムとラジオ深夜便。この花、3.4年前までわが家の庭でも咲いていた。風変わりな花で球根草であるが、球根を土に植えなくても彼岸花が咲く時期になると花が咲く。そして、葉は開花後に出てくる。日当たりのよい室内などに球根を置いて、花を鑑賞してから土に植えても全く問題はない。土に植えておくと自然に増えて行く。



同窓会では、卒業後60年ぶりに会う者も何人かいた。互いに言葉を交わすうちに記憶が蘇って和気あいあいとなる。こんなパターンの連続だった。いまだにタバコをやっている奴がいる。やめない理由を訊ねると、曰く。「何とかして妻より先に逝きたい。ひとり取り残されたらあわれだ。だから、医者がダメということをどんどんやっている。」こういう「へそまがり」もいる。


かと思えば、女房より自分の方が先立つとは何も決まっているワケではない。自分より女房の方が先に逝くかもしれない。女房に先立たれる前に、そのときに備えて男の料理教室に通ったり、「妻に先立たれる前にやっておくべきこと」をハウツー本で勉強しているという「男の鑑(かがみ)」みたいな者もいる。




包丁で果物をむくこともできないクマさん。”亭主のかがみ”になるには時間が足りない。”へそまがり”でいた方が気楽だなぁ〜。そんな気がしないわけでもないが、まだやりたいことが山ほどある。               


そこで、いわく「おんしんたぁ(君ら)、どっちも、どっちや。マニュアル通りに画一的に生きる人生ほどつまらんものはない。”余生”だもん、好きなように生きてこそ余生だ。先立たれたら、先立たれたでなんとかなるさ。そのとき考えればいいではないか」と。