「袖振り合うも多生の縁」


朝から曇り空。お昼過ぎにはポツポツと冷たいものが・・・、週末の天気は下り坂だ。2.3日家庭菜園に足を運ばなかったら、いつのまにか東側の土手に彼岸花の群生だ。この花律儀だ。この時期になる突然王冠のような真っ赤な花を咲かせる。20年余りの家庭菜園の歴史でこんなにも群生したのは初めてのことだ。


あす9月23日は二十四節気秋分で、お彼岸の中日だ。誕生日の花は彼岸花に違いない。それ前に、きょう22日の誕生日の花はナンバンキセルラジオ深夜便



毎年今頃、豊田・藤岡の緑化センターではナンバンギセルが開花している。去年の9月17日「季節の花めぐり」に参加した時の写真だ。その花の姿が南蛮人といわれたポルトガル人やスペイン人などの船員がくわえていたマドロスパイプに似ていることからのネーミングだ。


草丈10〜20cm。赤紫色の美しい大きな花がススキの根元でうつむいて隠れるように咲く。この花は葉緑体を持たないため自活できず、「全寄生植物」といって、自分では養分を作らず、ススキやミョウガに居候して栄養を調達する。



きのうのNHKテレビのニュースで報じていた。「(話の)さわり」の意味を、半数以上の人が本来とは異なる意味で理解しているという調査結果を、文化庁が発表した。と。


「(話の)さわり」は本来、「要点」を意味するのだが、全体の50%超が「話などの最初の部分」を指す表現と回答。年齢が高いほど本来の意味で理解する傾向があるものの、60歳代でも半数以上がそれとは別の意味で認識しているという結果になったそうだ。



10年ほど前の朝の連ドラ「だんだん」ナレーターをしている竹内まりやの作詞・作曲・歌の主題歌「縁(えにし)の糸」を毎日聴けるのが楽しみだった。当時のクマさんの日記に以下のようなカキコをした。


♪ 「袖振り合うも多生の縁」と  古(いにしえ)からの伝えどおり

  この世で出会う人とはすべて  見えぬ糸でつながっている


ネットで歌詞を読んでいて”おやっ”。 「袖擦り合うも・・・」でなかったか? このことわざをネットで調べると「袖触れ合う」というのもある。 「多生の縁」も「他生」もあり「多少」もある。歌詞にあるとおり、昔から今に至るまで伝えられる間に幾多の変遷をたどっているということだろう。


一番権威のある国語辞典、「広辞苑」で調べたら「袖振り合うも多生の縁」で出ていた。竹内まりや さん正解だ。ちなみに、「ちょっとした出来事もすべて前世からの因縁によるものである」との説明。(「多生」は「他生」とも書くとの註記があった)


「話のさわり」の意味の認識が時代とともに変わって来ていることも、「袖振り合うも多生の縁」の表現の仕方が多様化していることも、それらがすべて一概に誤りだとは言えないと思う。時代の流れとともに本来の意味と違う使われ方が定着する場合もあるだろう。また、嘘を繰り返し続ければ…やがて人々はそれを信じ嘘が真実になる。そんな側面もあるかもしれない。