アサシビール


朝のウォーキングこそ傘なしで済ませたが、相変わらずの曇天に時折小雨がぱらつく一日だ。あす、あさっては地域のオータムフェスタで色々な催事が予定されている。台風の動向が心配だ。


きょう10月20日の誕生日の花は「アキノキリンソウ」とラジオ深夜便。一昨年の「季節の花めぐり」で、この花とセイダカアワダチソウを併せて説明を聞いたことがある。山地や丘陵部の日当たりのよい場所に生える。かつては里山に囲まれた水田の周辺、ため池の土手などにごく普通に見られ、秋草の代表的存在だった。              


しかし、そのような環境の減少や荒廃とともに見られる場所が少なくなった。帰化植物のセイダカアワダチソウはその旺盛な繁殖力でその土地に繁殖していたススキやアキノキリンソウなどの植物を追いやって数を増やしたからだ。昭和40年代からのことだった。アキノキリンソウは「軒を貸して母屋を取られた」感じだ。



学生時代の東京の友人から久しぶりの電話があった。相変わらず、歯切れのいい東京弁だ。「朝日新聞」を「あさひ」と云えない。「あさし」になる。全国からの移民都市東京でも三代続くとこうなるだろう。ほんまもんの江戸っ子だ。秋葉原を「あきはばら」でなく「あきばはら」というクマさんに田舎もん呼ばわりしていた奴だ。


「待たせちまったネ。遅刻しそうになったからサ。朝めしも食わずに来ちまったヨ」などと「それでサ、それでネ、それでヨ」というのが東京弁の特徴だった。彼に言わせると、東京の方言である東京弁は学校で「ネサヨ運動」と称した東京方言を使わせない運動で使われることが少なくなったという。



「山の手の中流階級の言葉」を標準語として使わせようとする国家事業で、下品な下町言葉である東京弁は「ネサヨ運動」などにより徐々に使われなくなったという。我々から見たら、東京弁と云われる下町言葉も山の手言葉である標準語もまったく区別がつかないが・・・。


東京弁を話す人たちが少なくなった要因は、関東大震災と戦災、東京五輪、バブル期の地上げなどにより、下町も山の手も混在化したことが大きいのではないかと思う。いくら、東京弁を使う人が消滅しても、「スーパードライ」のビールは何だっけ?と聞いて「アサシ」と答える江戸っ子は永遠に不滅だろう。