音読の味わい


東海地方の各地では、けさは今シーズン一番の冷え込みだったようだ。このところ、一桁台の最低気温の日が続き、ウォーキングコース沿いの野の景色も紅に染まりつつあると云った感じだ。こんな句が思い起こされる。


 大紅葉燃え上がらんとしつつあり  高浜虚子



新聞やテレビの広告でミュージカル「レ・ミゼラブル」のタイトルを見るたびに、小学校3年の頃昼休みの時間に、先生がビクトル・ユーゴ原作の「あぁ無情」を読み聞かせてくれたのを思い出す。シェークスピア原作の「ベニスの商人」もそうだった。


クマさんがドラゴンズファンになったきっかけは、初代ミスタードラゴンズ西沢道夫物語を隣のおじさんに読んでもらって、西沢ファンになったことだった。小学校1年生位だったと思う。本屋の倅が、店から大人の読む雑誌「野球界」を持ち出して、隣の洋服の仕立て屋に行き、連載中のその物語を読んでもらっていたのだ。


きょうの昼飯、何食べたか忘れても、半世紀以上も前のことは、良く憶えているものだ。しかし、そのことだけではないだろう。自分で読んだのではなく、他人に読んでもらった。そのことに何か特別の意味があるかもしれない。その疑問を解くカギみたいなことを、3日前の朝日新聞天声人語が語っていた。



「音読の味わい」と題する一文だ。軽井沢朗読館の館長青木裕子さんが、こう語る「朗読と読書とは別のもの。人間の声を通して物語の世界が立体的に浮かび上がってくる。芝居が一つの空間をつくるのと同じで、朗読空間といってもいい」と。読み手と聞き手でつくる空間は、静かに本に向かうのと違った魅力がありそうだ。


なるほどなぁ。高校時代の世界史の時間。フランス革命の時、バスティーユ監獄が出てくる。そのとき、これは「あぁ無情(レ・ミゼラブル)」の主人公ジャンバルジャンが入れられていた監獄だと、小学校で読み聞かされた物語を思い出した。それとか、70年近くもドラファンで居続けるクマさんが今あるのは、子供の頃の読み手と聞き手でつくった魅力ある空間の賜物ではないだろうか。