豊田市駅前通りの変貌


真冬並みの寒波だ。けさは、名古屋で初氷らしい。そういえば、あす7日は二十四節気の「大雪」。平野でも雪が降るの時節ということだ。そんな時節のシグナルか、丘陵地の大根畑の土手でもう、スイセンが咲き始めた。


                           
そうかと思えば、夏の花、高砂ユリがポツンと一本だけこの寒風の中で、まだ頑張って咲いている。0と1、白黒くっきりの今のデジタル時代に、夏と冬の花が同居しているこのあいまいさ。四季のある日本の季節感、南国でもなく雪国でもないこの地の季節感が”あいまいさ”を育み、日本人の「中庸さ」を育てたかもしれない。



きょう12月6日の誕生日の花はヒイラギ(柊)とラジオ深夜便。節分のときイワシの頭とともに門戸に飾るあのギザギザの葉の木だ。モクセイ科モクセイ属。花期は、11〜12月。名前の由来は 葉が固くてギザギザで、さわるとひいらぐ(疼く、痛い)「ひいらぎぎ(疼木)」となり、次第に「ひいらぎ」になった。


この12月で三河在住40年になる。豊田に18年隣接するみよしに22年だ。生まれ故郷多治見とは在住期間がダブルスコア以上になる。みよしがわが生涯最長の住まいだ。終の棲家をみよしにしたのはまちがいではなかったと思っている。自然、人情、暮らしやすさ、すべてよしだ。


豊田に住み始めた昭和50年代の初めの頃(昭和53年移住、同54年名鉄豊田線開通)、豊田市駅前の通りは人や自転車、バス、トラックが所狭しと行き交い、雑然とした田舎の街の印象しかなかった。下の写真は昭和31年の豊田市駅前通りのものだ。                                       


昭和62,63年に名鉄線の立体交差化の完成やデパートそごう(現在松坂屋)の開店で駅西地区は大きく変貌した。一方駅東地区は平成11年の豊田大橋、同13年豊田スタジアムの完成を機に再開発の機運が盛り上がった。同19年に駅東南側の再開発でコモスクエア、今年11月に同北側再開発でKITARAが完成して駅前通りは一新した。(コモスクエア、KITARAともに複合商業施設)


先々週KITARAのオープンの際、何年ぶりかに駅から豊田大橋、スタジアム方向への駅前通りを歩いた。40年前に豊田に来たときの面影がまったくない。大変な変わりようだ。ラグビーW杯開催に向けて、駅前通りはフルモール(歩行者専用)化が計画されているそうだ。未来に向けて新たな姿への変貌がもう始まっている。