「建国記念の日」あれこれ


来週の月曜19日が二十四節気の「雨水」で雪が雨に変わり、草木が芽吹き始める時季というのに冬将軍は何をもたもたしているだろう。もう、いいかげんに退けばいいのに、3連休明けのけさも氷点下だったようだ。北陸地方は、またも大雪とか。


おととい11日の誕生日の花はマンサクとラジオ深夜便。冬の緑化センターで、寒い中でいち早く咲き出すのがマンサクだ。名前の通り、春に他の花に先駆け「まず咲く花」が転じて「マンサク」になったとか。細長いひも状の縮れた花で黄色が鮮やかだ。



1年年上の友人知人に紀元、紀行、二六、紀子、二六子と名のつく人が随分いる。戦前は神武天皇が即位された2月11日を日本の建国の日、「紀元節」として祝っていた。とりわけ昭和15年(1940年)は、神武天皇即位から2600年目の年、紀元2600年の節目の年で色々なお祝い行事があり、その年生まれの子には先述のような名前がつけられた。そんなところからも、国民の関心の深さがわかる。


戦後は占領軍の意向で「紀元節」は廃止された。その後、それを復活させようとする動きが高まり、紆余曲折の末「建国記念の日」として1967年から祝日になった。「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだといわれる。自分が最初に出向した金沢の会社ではイデオロギー主体の労働組合で、この日を祝日にすることを認めず、出勤していたことを思い出す。




紀元2600年に因んだ名前を持った人たちは、歴史の時間に”進歩的”考えの先生から自分の名前が睨まれているようで嫌な思いをしたのではないだろうか?紀元節なんていうものは、架空の人物である「神武天皇」の即位の日としてつくりあげたもので、科学的にも歴史的にも根拠がない。日本を「神の国」として、国民を軍国主義侵略戦争にかりたてるために利用されてきたのだ。と。


高校の社会の先生からクマさんの名前の「紘」は戦前の日本の大東亜共栄圏への侵略思想「八紘一宇」からとったもので、お前の親は日本の侵略戦争に加担していたなどと云われたことがある。それと同じようなことだ。昭和15年生まれのあの名前の人達、毎年「建国記念の日」が来るたびに肩身の狭い思いをしてきたのではないだろうか。


こうした風潮は、世の中が落ち着くとともに収束していった感がある。今年の「建国記念の日」にいたっては、平昌冬季五輪フィーバーの陰に隠れ、テレビではいつもながらの反対、賛成両派の集会の模様を申し訳け程度に映し出すくらいだった。新聞は「赤旗」と「産経」が力を入れていたのが目立った。うなづける。平和な国とみるべきか、それとも建国の記念日がこんなにも疎まれて「愛国心」のかけらもない国民ばかりの特殊な国とみるべきか?