桃の節句あれこれ


朝からあいにくの雨。暖かな雨だ。木の芽雨とでも言おうか。庭や野山で芽生え始めた木々が雨に濡れて、そのこまかな芽が萌黄色、若緑色、銀色などに輝いているのは明るい気持ちを抱かせる。週末から週明けにかけていっきに春が来た。きのうにいたっては最高気温が20度に届きそうな陽気だった。
                        


週末3月3日は桃の節句、女の子の幸せを願う雛祭りだった。体感的にも暦の上でも、季節の節目を実感する週の始まりだ。その上、先週の金曜に、病院で退院後の体の機能の回復状況のチェックをしたら、OKのお墨付きを頂けた。今週からグラウンドゴルフへも復帰できる。クマさんにとっても節目の週明けだ。



桃の節句にちなんでのことだろう。3日のラジオ深夜便の誕生日の花はモモだった。三好丘や猿投の丘陵で栽培されている食用の桃の花は3月の終わりから4月上旬の桜と大体同じ時期にその名の通り桃色(ピンク)の花が咲く。花桃の花は食用桃よりも大きくて八重桜や菊に似たものや、1本の木から数種の色の花が咲く品種もある。花期が長い。花桃にも実はなるが、食用にはならない。




モモはバラ科モモ属。名前の由来は実が赤いところから「もえみ(燃実)」が変化して「モモ」になったことから。モモは古来より中国や日本では魔除けの力を持つとされたため、桃の節句で女の子の健やかな成長を祈る風習が残っている。また、桃の字の「兆」は「妊娠の兆し」を意味しており、桃が「女性」や「ひな祭り」と関係があるともいわれている。



ここでクマさん、”はた”と感じた。高貴なお方も一般庶民も女の子の行く末を幸あれと願う伝統行事である桃の節句の「桃」が「桃色遊戯」やら「ピンクサロン」やら「ピンク映画」とお下劣な表現に使われることはどういうことだろうと考えた。「色」と「形」から考察するとこうだ。



「色」。肌の色に近い色だ。着物を着た時の女性の下着のネルの腰巻の色だ。そんなことから、女性の下半身事情に関わる象徴的な表現として用いられたのではないだろうか。「形」は推して知るべし。せっかくの美しい花がこんな比喩に使われて気の毒だ。「桃」もそうなら「梅」だってそうだ。何で「梅毒」だ。この病気の発疹が楊梅(ようばい)ヤマモモの果実に似ていたため「楊梅瘡(ようばいそう)」と呼ばれていたが、これが時代とともに変化したそうだ。


「桃」にしろ「梅」にしろ、誰もが知っている花で、だれもが嫌悪感を持つような花でないから、何かの例えなどに使われる。一種の有名税のようなものでないだろうか。