姥桜(うばざくら)


先週末から続いたお花見シリーズも、連日の晴天、おまけに時折夏日がまじって、観測史上初物づくしの感があった。時は移って、きょうの週末金曜、2週間も続いた晴天にも節目の雨がやってきた。ここに至って、どうやらこの宴も終わりを迎え、次のステージ「新緑」に向かい始めた。



ステージ変わりの幕間に登場するのが、野生の山桜系に対して人里の桜という意味で里桜系の桜だ。四つ池の南端に八重桜が一本だけ植わっている。樹高3mほど。ソメイヨシノが散り始めたころに咲き出し、葉桜状態になった頃に八重桜が満開になった。葉を付けた状態で咲き出し、花びらの数が多いのが特色だ。




御衣黄(ぎょいこう)桜。八重桜の一種の園芸品種。緑の桜とも云われる。ウォーキングコースからすこしはずれた路傍に一本だけ植わっている。例年4月中・下旬に咲く。今年はどの桜も早いから、もしやもう咲いているのではと足を延ばしたら案の定。もう盛りを過ぎていた。ネーミングは貴族の衣服の萌黄色に近いため。




四つ池の南岸にある桜並木は全部ソメイヨシノですっかり葉桜になってしまった。池を取り囲むように植えられた桜はヤマザクラが比較的多く、半分以上は散りながらも桜の面目を保っている。パッと咲いてパッと散る桜のイメージとはかけ離れて、いつまでもダラダラと咲いて散り際の悪いイメージから「姥桜(うばざくら)」なんて言われるのでは・・・そんなマイナスイメージを抱いていた。



広辞苑を開いた。「姥桜」=葉(歯)なしの桜の意からという。①葉に先立って花を開く桜の通称 ②娘盛りがすぎてもなお美しさが残っている年増。盛りの年増。つまり、歯がないことから老婆(姥:うば)を意味する言葉になったのだ。肉は腐る直前まで熟成したものがおいしいといわれるように、いい意味での「熟女」のことを指すのだ。




四つ池の水辺に咲くヤマザクラソメイヨシノと比べ寿命も長い上に、花の咲く期間も長い。この池の周囲の人たちは大多数を占めるソメイヨシノが葉桜と化しても、その成熟した色香と風格でいつまでも目の保養をさせてくれるヤマザクラに、どうして「姥桜」などとマイナスイメージを持つ名前を口に出すことができようか。


「姥桜」と云われて不快感を表す女性には二種類あるのだ。「姥桜」=歯(葉)無しばあさんと解釈している女性。もう一方は「姥桜」=色気があり、美しい熟女と解釈している女性。後者は賢いからあからさまに喜ぶようなことはしない。怒ってみせるだけだ。「いやよ、いやよも好きなうち」この類だろう。前者にしろ後者にしろ、男は怒られなければならない。


人生70数年やってきても、女性の扱い方は難しい。一番上の写真のタイトルを「姥桜」にすると色々と誤解曲解を呼ぶから「名残の桜」とした