「ママゆるして」事件に思う


台風5号も沖合の通過で普段の梅雨空と変わらないぐずついた天気だけですんだ。きょうは老人会の日帰り旅行で小牧の「あいち航空ミュージアム」見学だったが、肺水腫のため大事をとって参加を取りやめた。ドクターから静養を宣告されているので、庭に出て隠居仕事の草むしりに30分だけ精を出す。


庭に咲く花も、紫陽花からユリの赤、ヒペリカムの黄色の花と赤い実が幅をきかせはじめた。きょう6月11日の誕生日の花はスイカズララジオ深夜便。この地では、もう盛りは過ぎてほとんどが黄色に変色している。過去の未公開のスイカズラをアップした。



30数年前豊田に住んでいたころのことだ。長女は小学校、次女・三女は就学前。隣家にも就学前の子どもが二人いた。両親が共働きで帰宅が遅い事が多い。わが家で夕飯を食べ、風呂も入って行くことが多かった。隣家の子どもはわが家の子ども同然に育った。


その隣家の長女は米国に留学、市民権も取得し三人の子どもの母親になっている。数年に一回の里帰りには必ず我が家に来るし、毎年クリスマスカードが届く。自分の子どもの頃にしても、そして自分の子どもが幼かった30数年前でも、近所同士で助けあうといったことは、特別なことでなく日常どこにでもある出来事ではなかったかと思う。



先週の出来事。東京で「ママゆるして」と五歳の幼女が母に必死に命乞いするメモを残して死んでいった。母親が連れ子で再婚し、再婚男との間に子が生まれると、連れ子は憎しみの対象となり、折檻の対象となり、放置され、死に至る。実に痛ましい事件だ。


再発防止策として、児童相談所の職員の数を増やすとか児童相談所と警察との連携方法を見直すとか打ち出されているようだが、これらは対処療法に過ぎないだろう。ひとつ疑問がある。こういう事件のようなケースの場合、実の父親の出る幕はないだろうか?法的には離婚と同時に親権を失ってはいるが・・・。


根っこにある問題は、きれいごとに過ぎないかもしれないが、こうあるべきだと思う。老人問題、子育て問題を含めた社会の役割を明確にし、それが上からの押しつけでなく自然に根付いて行く社会にすることだと思う。「お互いさま」「赤子のとき替えてもらったおむつを今度はお年寄りにしてあげる」。30数年前の当たり前のことが、この先も当たり前のこととして続き、更に飛躍して行ってほしいものだ。