夏椿は語らず


梅雨時とは思えぬカラっとした陽気の梅雨の中休みだ。こんなときに「静養」を宣告され蟄居するのも辛いことだ。今週は毎朝のテレビ体操、ウォーキング、グラウンドゴルフすべて休業だ。庭の草むしりにでも精を出せということか。


ご近所さんの庭。すべすべした枝に葉が茂り、白い可憐な花が咲いている。黄色の雄しべが鮮やかだ。今月の初め頃から咲き出した夏椿だ。花の形が椿に似ていることから「夏椿」のネーミングらしい。別名沙羅(サラ)。お釈迦さまの入滅の際に、花は枯れ、幹が白くなったとされる聖なる樹木だ。


実は、本物の沙羅は温暖の地以外では育たない。代わりとして日本の寺などに夏椿が植えられ、沙羅として広まってしまったのだという。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす」平家物語の冒頭の一節あるこの「花」には夏椿も、またふさわしいのではないだろうか。栄華は決して長続きすることはないと諭してくれるようだ。



ならず者国家金王朝も体制保証をと命乞いだ。世界が注目した米朝会談。1日経って色々な論調が出揃った。不思議なことにこんな論調はお目にかかれない。自国民を虐げ、親類縁者を殺し、国際社会を欺き続け、東アジアの安全保障を脅かす国際社会のならず者に、こんなにも簡単にフリーパスを与えていいものか。こんなことを考えるクマさんが国際感覚がないだろうか。


確かに一方では釈迦に説法ならぬ釈迦の説法だ。「諸行無常、すべてのものは移り変わる。諸法無我、すべては繋がりの中で変化している」。 朝鮮半島にいつかは永続的な平和が来るような道筋をつけなければならない。いまがそのチャンスと捉え、国際社会が協調すべきではないかという論もあるだろう。

夏椿は黙して語らず。クマさんはどう考えればいいものか?