終戦の日に思う


終戦記念日といえば蝉しぐれと青空に入道雲を思い浮かべがちだが、きょうの8月15日はきのうと同様朝に一雨、終日の曇り空から時折小雨で猛暑日を免れた一日となった。                            



戦後73年で平成最後の終戦の日。改めて思い起こせば、月遅れのお盆と終戦の日が重なったのは歴史の偶然だ。が平和国家として復興を果たすのには幸いした偶然だったといえる。迎え火、送り火で故人をしのぶ。その宗教的な慣習とともに先の大戦の悲劇を省み、戦火に散って行った人々を悼み、その無念を忘れずに戦後社会を築く精神的土壌を生んで来たのではないだろうか。


「戦争の語り部」が少なくなっていることは、いかんともし難い事実だ。その一方で公文書が公開されたり、市民グループの活動が盛んになり知られていなかった事実が明るみになることが増えている。きのうカキコした多治見の空襲などもその例のひとつだ。けさの中日新聞豊田版に「豊田に模擬原爆 知って」のタイトルが躍っていた。



終戦の前日1945年8月14日午後に豊田市上空に3機のB29が飛来し、3発のパンプキン(かぼちゃ)と呼ばれる「模擬原爆」が投下された。トヨタ自動車を狙ったものだった。本社工場の建屋が損壊したほか、明和町地内では直径20mの窪地ができた。事前に空襲の情報が入っていたため、人的被害はなかったという。


戦火をくぐり抜けてきた人々の「語り」が年々細くなる一方市民グループなどの活動で明るみになる事実は増えている。それらに耳を傾け、引き継ぐ我々世代は確かさが要求される。1年に1度めぐる8月15日の意味をかみしめたい。



 
きのうの昼のニュースで豊田・稲武地区の大栗山の自生地でオオキツネノカミソリが見頃だと報じていた。5年前に見物に行ったことがある。そのときの写真を引っ張り出してみた。稲武の道の駅「どんぐりの里」から茶臼山方面へ約10分。路側帯に駐車。登山口から歩くこと600m約20分。


間伐材を杖に息絶え絶え。歩くこと、およそ20分。突然、ケヤキの大木が林立する山腹にうすいオレンジ色のじゅうたんを敷き詰めたような光景が目に飛び込んでくる。木漏れ日の光の帯がまぶしい。


そもそもこのオオキツネノカミソリと云う花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の花でヒガンバナにそっくりだ。花弁の色はヒガンバナが濃いオレンジ色、こちらは薄いオレンジ色。両者とも扱い方によっては有毒。キツネの出るような薄暗い場所に咲き、葉がカミソリに似ていることからのネーミング。この大栗山は国内最大級の自生地と云われている。


山腹の避難小屋の前に案内板がある。こんな記述だ。「今から120年ほど前、稲橋(稲武)の八幡神社を建設するとき、諏訪大社からいただいたケヤキ130本を大栗山の一画に植えた。それがケヤキの森となった。大栗山一帯には、大勢の木地師が住みつきオオキツネノカミソリを薬草として栽培していた。木地師たちが移住した後にもケヤキの森の中にオオキツネノカミソリはひっそりと生き続け、きれいな花を咲かせている。」


このオオキツネノカミソリ、毎年8月中旬過ぎになると写真入りで新聞の地方版に載る。色、形が特別美しいものでもないのにもてはやされるのはどういうわけだろう? 同種ながらヒガンバナほどポピュラーでなく希少性、しかも自生群生している。大栗山が国内最大級の自生地。 名前が大仰で、どんな花が咲くか見てみたくなる。そんなところだろう。