情けは人の為ならず


台風24号が去って3日続きの秋空だ。ご近所さんウォーキングも夏休みが終わって初めてのレギュラーメンバーによるレギュラーコースだ。高く晴れ上がった空の下、丘陵の尾根筋のキバナコスモスが車が通過するたびに揺れている。雑草地ではこの周辺の秋の野で最も目立つ野の花のひとつ、マルバルコウソウが姿を現し始めた。


熱帯アメリカ原産で、江戸時代、観賞用として持ち込まれ野生化したヒルガオサトイモ属のツル性植物で、他の雑草に絡み付いて秋の野を赤く染める 。ルコウソウの仲間のうち丸い葉の種類であることからのネーミング。11月の半ば頃まで楽しめる。



先週のニュースでトランプ大統領の国連での演説が話題を呼んだ。問題の演説では、トランプ氏が就任後2年間の業績を自画自賛したところ、会場に失笑が広がった。トランプ氏は「彼らは私を笑ったのではなく、私と一緒に笑ったのだ」と強弁した。同大統領の人間性をさらけ出したトピックスだった。善良なる米国民は苦笑いしたことだろう。


クマさんが問題にするのは、大統領の演説ではなく「失笑する」という言葉の意味のことだ。国立国語研究所が「時代と共に変わる言葉の意味」を調査してメディアで発表する。その中にこの「失笑する」も入っている。正しくは「こらえ切れず吹き出して笑う」だが、今では6割の人が「笑いも出ないくらいあきれる」という意味で使っているそうだ。



まるっきり意味が変わって解釈されている例としてしばしば登場するする言葉に「情けは人のためならず」とういうのがある。国語に関する世論調査で半数近くが「情けをかけることは、結局その人のためにならない(ので、すべきではない)」という解釈をしていたという。本来の意味は「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味なのだ。


かつてはプロ野球の選手がこの「情けは人のためならず・・・」を実践していた。現在解説者になっているが阪神セ・リーグ盗塁王にもなったことのある赤星選手が盗塁1個で車いす1台を寄付するボランティアや、かつて大リーグにいてソフトバンク在籍している松阪世代の和田投手。発展途上国の子供達にワクチンを贈るボランティア。投球数×ワクチン10本。勝利投手になれば20本追加だった。




どちらも「いい話」だ。しかし、単なる美談ではない。 両選手とも、その「ノルマ」というか「自分への約束」を課すことによって、盗塁や投球の数、勝利数を増やすという自己記録への挑戦のモチペーションをあげることができたわけだ。ボランテイアは、まさしく「情けは人のためならず」。自分のためでもある。            


一口にボランティアと云っても彼らのように「志」の高いボランティアもあれば、クマさんのような「やむを縁」ボランティアもある。人生いろいろ、ボランティアいろいろだ。トランプ大統領の国連演説失笑劇から時代と共に変わる言葉の意味、そしてボランティアと何ともまとまりのないカキコになってしまった。