古代アンデス文明展


あまりにも異常気象と騒がれ過ぎて、お天道さまも正常軌道に修正したのだろうか。人並みに寒波が来た。おかげで風邪をひく。寒さで筋肉が萎縮しているところに、ちょっと腰を捻ってぎっくり腰。二重苦できのうの地域の忘年会もドタキャン。「風邪とぎっくり腰はおとなしくじっと寝るにかぎる」のクマ式療法で二日間おとなしくしていたおかげで両方とも70〜80%の回復。


今週の火曜、名古屋に出たついでに名古屋市博物館の「古代アンデス文明展」を見てきた。「アンデス文明」といっても受験勉強にはあまり縁がなかったこともあり、旅の情報誌に出て来るナスカやマチュピチュくらいの知識しかなかった。館内を一回り、「へぇ〜」の連続だった。おもな「へぇ〜」を集めてみた。



◆ とてつもない自然環境

南北4000km、標高差4500kmにも及ぶ砂漠の海岸地帯から人が生活できる限界の高地に、紀元前1300年頃から16世紀の後半インカ帝国がスペイン人に滅ばされるまで繰り広げられた古代アンデス文明。その自然環境は、世界中にある生態系が全部見つかると言ってよいほど超複雑なのだ。こうした世界中に類を見ない自然環境のもと、独自の個性的な文明は発展したといえる。



◆ 文字も貨幣も鉄の製造技術もろくろもなかった。

文字のないインカの記録技術で最も洗練されているのは、キープという、ひもに結び目をつくる方法。色や寸法や素材など異なる紐に、さまざまな種類の結び目を作ることで、キープは単純な数量だけでない情報も記録できたという。現在でもその完全な解読はできておらず、謎を残したままだという。



スペイン植民地時代になるまで貨幣や市場がなかった。アンデス山脈のその高度と環境に応じた作物を作り、大規模な自給自足経済を営んだものとみられる。また、鉄を作る技術がなかったから、槍・刀・鉄砲などの武器がなかった。そのためわずか100数十人のスペイン人にインカ帝国は滅ぼされたという。


ろくろを使う旧大陸では、陶磁器は左右対称の形が主流になったが、アンデスでは手びねりや型を使ったため、動物やこの世のものではない怪物や精霊など、まるで彫刻のような独創的な象形壺がつくりだされた。リアルな人物の顔の壺などの土器が使用された。



◆ 独特の「世界観」 人間、自然、死者、神々 

自らの首を切って神に生贄(いけにえ)として捧げる場面の土器や骸骨と生身の女性が交わっている土器、ミイラとなった家族を同居させ、食事を与えている展示などから、推察できるのはアンデスの人達は「人間」「自然」「死者」「神」という独特の世界観があったのではないか。


我々が普段暮らしている文化とは異質でありながら、根源はどこかで同じではないだろうか。なにせ、何万年も前にアジア大陸からベーリング海峡を渡って(その当時はつながっていたかもしれない)南米大陸に渡った民だからなぁ。こんなことを考え出すと、喉が痛いのも腰が痛いのも忘れてしまう。