シクラメンあれこれ


日陰になっている冬枯れの野が、うっすらと雪が積もったように白くなっている。そんな寒い朝のウォーキング。寒さに加えて病み上がりの身には、一回り以上も違う齢の違う連中とのウォーキングについて行くのが精一杯。元気出そう。


ラジオ深夜便を聞くようになってもう5年以上は経つと思う。「きょうの誕生日の花」を伝えるパーソナリティーは変わっても当然のことながら花の名は変わらない。きょう12月19日は「シクラメン」だ。クマさんの日記のバックナンバーを紐解くと昨年も一昨年もこの日はシクラメンにまつわる話題を取り上げている。


2016年12月19日の日記で発信した情報が多治見のブログのメンバーK君の目にとまり、コメントをもらい、会合で同席したときに話題になり、昨年の同日の日記のカキコになった。そして、多治見のブログ「河童の湯」の1週間ほど前のK君のカキコとなってシクラメンは多治見にも飛んだ。今年の12月19日のカキコはその紹介になって戻ってきた。シクラメンのブーメランだ。



2016年12月19日の日記の一部抜粋。

シクラメンのかほり小椋佳 作詩作曲 
♪ 真綿色した シクラメンほど / 清しいものはない / 出逢いの時の 君のようです / ためらいがちに かけた言葉に / 驚いたように ふりむく君に / 季節が頬をそめて 過ぎて行きました


この歌がヒットした30数年前だと思うが、酒席でシクラメンって香りのある花か?と話題になったことがある。リタイヤーしてからでも、ブログで香りがあったとしても「かほり」でなく「かをり」と表すのが本当でないか。東大法学部出身の小椋佳なんて奴はええ加減なもんだ。などとカキコしていた者もいた。



去年だったと思う。ある作家の「《シクラメンのかほり》の謎とき」と題するエッセーを読んだ。胸のつかえが治まった感じだった。その受け売り。その作家が偶然ネットで小椋佳の奥さんの名前を知った。佳穂里(かほり)さんだった。


なるほど、3番まで歌詞を読んでもシクラメンが香るとはどこにも云っていない。「シクラメンほど清しいものはない」「シクラメンほどまぶしものはない」と云っている。しかも、そのあとに「出逢いのときの君のよう」「恋するときの君のよう」とシクラメンが「君」に見立てられている。


小椋佳にとって妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であったのだ。ならば題名は「シクラメンの佳穂里(かほり)」とすればよかったのだ。香らないシクラメンの謎がこれで解けた。外交交渉も流行歌の歌詞も裏にあるものを読み解いてこそ真の意味が見えて来るものだ。





2017年12月19日の日記ではシクラメンにまつわる話題として以下のようなことをカキコした。その抜粋

あらまし、そんなことを去年の日記にカキコしたところ、リタイヤー後大正村でお馴染みの岩村観光大使をしているK君(高校同級生で会社同期入社)からのコメントと、何かの機会に同席した際、詳しい話があった。


恵那市在住で明治生まれの伊藤孝重がシクラメンに魅せられ、その栽培に独学で取り組み昭和初期に成功させた。その後、自ら販路を拡大し、恵那を全国に誇るシクラメン産地に育てたとのことだ



シクラメンのかほり」が東大法学部出身の小椋佳なら、京大法学部出身ヤメ裁判官のI君が賞を取った彼の一句を多治見のブログ「河童の湯」に投稿した。それに対し前述のK君がコメントを寄せていた。その抜粋。


シクラメン スタンダールの 恋の色」  これがその一句       

スタンダールの小説「赤と黒」のジュリアンとマチルドの激しい恋を連想させていいね。シクラメンは別名「篝火花」と言われるように、大恋愛を想像させるのかな。 
      

小椋佳のヒット曲「シクラメンのかほり」は、かれの妻の名前が「佳穂里」で妻への思いがシクラメンに託されているそうで「恋する時の君のようです」のフレーズでなるほどと思える。シクラメンはやはり恋愛を想像させるのかな? 
                              

鉢花の女王といわれ、花の少ない晩秋から冬にかけて人気のシクラメンは、日本での栽培発祥の地が恵那市で,そのためその種・苗の生産は恵那市中津川市が全国一のシェアを占めており、恵那市ではシクラメン祭が行われているよ。


そして、シクラメンはブーメランのようにクマさんの日記に戻ってきた。