昭和の美談


日中は安定した晴天で、穏やかなポカポカ陽気になった。病み上がりで、朝のテレビ体操、ウォーキング、グラウンドゴルフを再開したこの一週間も、どうやら大過なく週末を迎えた。ほっ。夜の花金居酒屋にも顔を出すことができる。


きょう12月21日の誕生日の花はケヤキラジオ深夜便。パーソナリティーもこの時季にどうしてケヤキの花?と疑問を持ったと思う。「ケヤキにも花は咲きますよ。4月か5月に」と付け加えていた。ケヤキは真冬になると葉を落としつくし、細かく枝が分岐するためもっとも美しい姿になると云われている。そんなことから、この時季に選ばれただろう。


われらが家庭菜園のシンボルツリーのケヤキは菜園の西端に鎮座している。樹高はゆうに5mはあるだろう。きょう21日現在ではまだ褐葉の段階で落葉はしていない。年によっては年末にはパラソル形の樹形を現すときもある。ニレ科ケヤキ属。



先日配信のメルマガにこんな話が美談として載っていた。果たして、これが美談だろうかと少々考えさせられた。

ある男性の住まいの近くにある干潟が埋め立てられることになり、現場に行ってみると大小のゴミが捨てられ悪臭を放っていた。その男性は一人でゴミ拾いをはじめた。その一方でダンプによる不法投棄も続けられていた。


毎日続けられているゴミ拾いに触発されて近所の主婦が一人、二人と手伝ってくれるようになった。やがて、その姿が新聞で紹介され、ゴミを捨てる人もなくなり、その干潟は水鳥の生息地としてラムサール条約にも登録された。たった一人の力がみんなの心を動かした。そこまで、なんと13年かかったという。



他人の嫌がることをひとりでコツコツと13年もかけてやってきたことが、周りの共感を呼び実を結んだと言う美談。確かにたった一人の力が、大きな力となった美談に違いないし、その男性に敬意を払うが、果たして 良し悪しは別にして今のスピード時代には時代遅れの美談ではないだろうか?


もし、自分がその男性の立場だったら、住民運動なり何らかの組織で行政を動かして干潟の浄化をしただろう。その男性は自分の力で自転車を漕いで、時間をかけてゴールを目指したが、今の人間は車のエンジンの力を借りて自分でハンドルを握ってゴールを目指すだろう。


平成も終わろうとしている。一時代前の昭和の美談として、この日記に遺しておこう。