渋谷ノスタルジー

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景気循環は後退局面に入ったようだが、目まぐるしく変わるこの春のお天気局面、きょう、あすはニコニコ局面だ。野や庭で春を告げる花、ロウバイに始まり、菜の花、マンサク、サンシュユ、イトスイセン、黄色い花が多い。わが家の門の横で咲きはじめたイトスイセン(上写真左)、甘い香りのおまけまでついている。

 

1週間ほど前、メイちゃんパパさんのブログ「シニア人生を楽しむ」で青春時代を過ごされた東京の東急池上線沿線の洗足池公園や大井町線沿線の大岡山界隈の昭和ノスタルジーを読ませていただいた。

 

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 自分は学生時代の4年間だけだが、彼の住まいと隣接する大森・馬込に住み、通学の沿線(大井町線荏原町→自由が丘東横線乗換え→日吉)だったことから、彼のカキコに出て来る地名も馴染みがあり、妙に共感を覚えた。そして、自分なりのノスタルジーを覚えた。

 

 

学校の帰り道、自由が丘で大井町線に乗り換えせず、そのまま渋谷まで直行が多かった。東横百貨店2階の東横線渋谷駅。勿論当時は自動改札でない。集団で、いたずら半分に定期券で乗り越し精算せず改札口を出た。不正乗車で4人が御用となった。「改札口 みんなで通れば こわくない」 こんなことは通用しないということを身を持って体験した大学1年生だった。

 

忠犬ハチ公前から道玄坂に向かうと焼け跡マーケットに恋文横丁があり、中華料理屋が何件もあった。同じ学校に通う先輩の従兄に連れられて、生まれて初めて”餃子”を食べた。世の中にこんな美味しいものがあるかと思った。半世紀以上経っても店の名を忘れない。「みんみん」(字は忘れた)

 

 

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渋谷駅の近くのリキスポーツパレス。力道山の経営するボーリング場だ。子や孫に話しても信じてくれないが、当時のボーリング場はピンを係員が並べて、退避したら投げる方式だった。係員が退避する前にボールを投げて、大事には至らなかったがトラブルを起こした。

 

「3丁目の夕日」時代と重なる我が青春時代。その当時の渋谷界隈は、けばけばしい看板、クモの巣のような電線、迷路のような駅の構造、混沌と喧騒という表現が一番ぴったりとする街だった。そして、その頃から今に至るまで工事の槌音による喧騒だけは留まる事を知らない。いつ行ってもどこかで工事中だ。

 

6年前の東横線渋谷駅地下化で戦後処理が一段落したかと思いきや、何が何が、渋谷再開発の最終完成は2027年だという。ノスタルジーに浸ってばかりいられない。リニア新幹線の乗って、新しくなったハチ公広場を見に行く体力づくりだ。