リメンバー3.11

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うららかな春の日を思い起こさせるような 陽気になった週末土曜の夕暮の景色も、また格別だった。燃え盛る炎のような赤から青空にいたるグラデーション、その中にセントレアから飛び立っただろう飛行機の飛行機雲だ。雨戸を閉める手を休めてしばらく、見入った春の夕暮景色だ。

 

きのう3月11日は東日本大震災から8年目の日。地震津波原発事故による大災害で2万人を超す人命が奪われ、行方不明のまま。8年経つ今でも5万人を超す人たちが避難生活を続けている。戦災や大きな災害を体験していない自分には、この災害は相当なショックだった。「記憶の風化」は被災者への罪深い裏切りだろう。毎年この日に自戒を込めて当時の日記を読み返している。今年も読み返した。当時、菅さんていう首相がいたなぁ。

 

 

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2011年3月11日のクマさんの日記の一部だ。《照ったり曇ったり、時折にわか雨、早朝にはうっすらと春の雪。目まぐるしく変わる天気の挙句の果ては地震がぐらり。国内観測史上最大の地震とテレビが伝えていた。こんな長い時間揺れた地震は初体験だ。東北地方では大災害のようだ。

 

きょう列島に観測史上最大の激震が走ったが菅内閣では日替わりメニューのように連日屋台骨を揺るがすような激震が起きている。ときあたかもこの3月11日に菅首相在日韓国人から献金を受けていたことが発覚し列島を走った地震菅内閣に止めを刺したことになるかもしれない。》

 

 

震災と菅首相、同じ8年前の出来事と人物。震災に対する8年という距離感と菅さんに対するそれとは随分違って感じられる。菅さんは過去の人だからはるか彼方の遠い過去の人という距離感だ。震災からの8年は復興がまだ道半ばであるだけに菅さんの存在よりずっとずっと身近に感じる8年という距離感だ

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この国難に自分は何ができるか?真剣に考えた。4月20日から10日間の中欧旅行キャンセルするかとか・・・。そんな時に「電気が足りない関東・東北地方に私たちが節電して融通しよう」なんて関西からのチェーンメール。メールの転送だけでなくブログにカキコすれば自分のできる大きな貢献だ。と喜んだのも束の間、いたずらメールだとブログのコメントで知らされた》そんなこともあった



この国難に自分は何ができるか? 復興特別所得税が年金から引かれて貢献しているのだ。天引きだから痛税感が、つまり距離感がない。これを、各自現金で納めるとなると痛税感、距離感が出ると思う。収税効率の問題はあるが

 

復興特別所得税でわれわれは東北の被災者への共感につながっているのだ。天引きだからついつい忘れがちだ。あの日の記憶が薄れ、遠い地への想像力も鈍りがちだ。しかし津波などに襲われた被災地の生活は、8年の時を経た今も、震災以前の日常とは遠い。それを思うと、やはり切ない。