名残の桜

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最高気温が28度を超した昨日より、雲が多いだけ日差しも鈍く、それでも夏日はクリヤしそうな陽気だ。二十四節気穀雨が先週の土曜20日だった。次の節句は、早くも立夏だ。毎年のことながら、桜梅桃李(おうばいとうり)それぞれの花が終わると、助走をつけていくかのごとく季節の移ろいのスピードが加速されるようだ。

 

四つ池の周囲もソメイヨシノは葉桜だ。花の咲く期間の長いヤマザクラも名残の桜だ。池の周囲が、あっという間に美しい若葉の緑のカーテンに覆われた感じになった。ちょうどこの頃、遅咲きの緑の桜、御衣黄桜が四つ池から500mほど離れた休耕田の一角で満開を迎えた。

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きのうの中日新聞朝刊「くらしの歳時記」欄にマユミの花に関するエッセーが載っていた。秋から初冬にかけてウォーキングの際にマユミの実に出会う。美しいピンク色がよく目立つ。筆者が言うには、新緑の頃に咲き終えた花が道を白く飾って、初めて気づくほど目立たないが、かわいくて気分を和らげてくれる花だと述べている。

 

花のときは目立たないが、実となると抜群に目立つ。どんな花か見てみたくなりネット検索。花は初夏、新しい梢の根本近くにつく。薄い緑で、四弁の小花。実は枝にぶら下がるようにしてつき、小さく角ばった四裂の姿。秋の実の色は、熟すと果皮が4つに割れ、鮮烈な赤い種子が4つ現れる。この花にしてこの実あり。不思議な感じがする。

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名残の桜のカキコが一番最後になってしまった。周囲のソメイヨシノが華やかな満開という宴を終えて、ひっそりとしている中で、ヤマザクラが凛として咲き続けるさまはその成熟した色香と風格で、いつまでも目の保養をさせてくれている。それを、いかにも老害みたいに「姥桜(うばざくら)」なんて呼ぶのは言い過ぎでないか。そんな気がする。

 

 「姥桜」の語源の本当のところはどうだと何年か前に調べたことがある。元々は「彼岸桜」や「染井吉野」の事を意味している。花が早く咲くため、花が咲いている間は葉が出ない事から「葉が無い=歯が無い」ということから、老婆(姥:うば)を意味する言葉になったという。語源はマイナスイメージの「老婆」だが、それが転じてプラスイメージの「熟女」ということだ。

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「姥桜」と云われて不快感を表す女性には二種類あるのだ。「姥桜」=歯(葉)無しばあさんと解釈している女性。もう一方は「姥桜」=色気があり、美しい熟女と解釈している女性。後者は賢いからあからさまに喜ぶようなことはしない。怒ってみせるだけだ。「いやよ、いやよも好きなうち」この類だろう。前者にしろ後者にしろ、男は怒られなければならない。

 

人生70数年やってきても、女性の扱い方は難しい。写真のタイトルを「姥桜」にすると色々と誤解曲解を呼ぶから「名残の桜」とした。