「表現の自由」論争に思う

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きのう8月8日は二十四節気の「立秋」だった。暦の上ではもう秋だ。当然のことはいえ、実感ではまだ夏だが・・との注釈付きでの秋だ。

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行

 

立秋といっても、まだ穂も出てない青田、高校野球は始まってまだ4日目、うるさいほどのセミしぐれと周囲は夏一色だ。ヒマ人の平安貴族は、風の音の変化で秋の気配にはっとするそうだ。平安貴族よりは雑事も多く、エアコンのおかげで季節感に鈍感なクマさんはそれでも、きのうの早朝ウォーキングで田園地帯の天高い青空と青田を吹き渡る風に平安貴族ならずとも、ちょっぴり秋の気配を感じた。

 

ことほどさように、まだ暑いうちに秋を探る、寒いうちに春を探る。この季節を探ることが日本人の鋭敏な季節感の象徴ではないだろうか?そんな中で花鳥風月を愛でて詩歌、書画などが培われてきたのではないだろうか。

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 「立秋」8日の誕生日の花は「トロロアオイ」とラジオ深夜便は伝えていた。この花、1.5m位の高さで茎にかたいトゲがある。花がオクラの花に似ているところから花オクラとも呼ばれている。トロロアオイもオクラもアオイ科トロロアオイ属。

 

ウォーキング沿道の農家で栽培されている。その農家では、花弁を生のままサラダにしたり、天婦羅、湯がいて三杯酢などで酢の物として食されるそうだ。一日花であるため市場にはほとんど流通しないとのことだ。

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 あいちトリエンナーレは、愛知県で3年に1度開催される国内最大級の現代アートの祭典で愛知県などが支援する国際芸術祭だ。その企画展「表現の不自由展・その後」が開幕から3日で中止された。直接の理由は展示内容に対する脅迫だとされる。その犯人も逮捕され今、メディアでは県知事・市長を巻き込んだ「表現の自由」論争が賑やかだ。

 

その論争以前に暴力や脅迫が決して許されないのは当然のことである。これは、左右両派とも一致している。左派の論調は「大嫌いな表現をも尊重するのが表現の自由」.右派の論調は「芸術であると言い張れば表現の自由の名の下にヘイト(憎悪)行為が許されるのか」。これに尽きると思う。

 

クマさんはどう頭をひねっても、今回の展示のようなヘイト行為の象徴的な展示物が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。芸術の政治利用とでも言おうか、そうとしか考えられない。もっと、下世話な言い方をすれば、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。常識をわきまえるべきだ。