「八月や六日九日十五日」

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立秋からおよそ1週間経った。台風の波状攻撃が続いている中では、朝夕の空の様子や明け方の風、夜の虫の音などから秋の始まりを知るなんという風情は凡人には感じ取れない。

 

クマさんは夜明けのウォーキングで、猛暑のなかで小さな秋を見つけた。荒れ野では秋の七草のクズが咲いていた。丘陵の尾根の畑では秋の味覚、栗のイガがテニスボールくらいの大きさになってたわわに実っている。

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七夕の頃に咲くことから牽牛花とも呼ばれる朝顔は秋の訪れを告げる花と言われる。これは、日本の朝顔のことだろうが、なぜか外来種アサガオも“郷に入らば、郷に従え”で秋口から咲き始める。路傍ではアメリアサガオが咲き出している。

 

きょう8月14日の誕生日の花はホオズキラジオ深夜便が伝えていた。6月から7月にかけて家庭菜園のあちこちで花が咲き、その後六角状の「ガク」の部分が実を包み、オレンジ色の袋状になる。この袋を死者の霊を導く提灯に見立てたところからお盆の時期の誕生日の花に選定したのではないか? ナス科ホオズキ属。写真左は飾り物のホオズキ

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「八月や六日九日十五日」の句の最初の作者は誰か?の論議が話題を呼んだそうだが、それはそれとして、昭和20年8月が日本人にとって忘れることのできない日付に重ねて詠んだものだ。8月の6、9、15の日付が表す膨大な歴史の意味を、また改めて思う先週から今週にかけての2週間だ。

 

戦後70年以上経っても、何かとキナ臭い話題の多い世界情勢だけに、各メディアともこの句に合せるように先週今週は6、9,、15日に関する特集が多い。日曜日のNHKスペシャルでは「激闘ガダルカナル悲劇の指揮官」を放映した。

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 「地獄の戦場ガダルカナル。陸軍精鋭部隊916名が1万を超える米軍に戦いを挑み、全滅した。指揮官の一木大佐は、無謀な作戦で、部下の命を奪ったとして非難を浴びてきた。新発見の戦闘記録から、知られざる激戦をCGとドラマで復元している。十倍の敵がいるとは知らず、死の罠に追い込まれた兵士たち。予期せぬ大敗北の裏には、陸海軍の熾烈な対立があった。部隊全滅の責任を負った指揮官の悲劇に迫っていた。

 

70数年前の陸軍と海軍の省益優先体質、敵に筒抜けの情報戦が今の日本の統治機構に重なって見える。一木大佐は森友問題で省益を守るために自死に追い込まれた官僚と同じ立場に思えてならない。中間管理者層の悲劇はいつの世も変わりないのだ。戦時の失敗が戦後に生かされていないといえよう。

 

情報戦に至っては太平洋戦争を通じて敗因の一大要素となっている。戦後、現在に至るまで情報を収集する組織がないので、相手に渡す情報がなく、必然的に入る情報も乏しい。戦時も平時も「組織」と「情報」の安定なくして平和は望めないことを痛感した。