「9月」に思ったこと

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1年の残り三分の一、新しい週が始まった。晴れ上がったが日中は残暑厳しい。グラウンドゴルフの夏休み明け初日、強い日差しに一汗も二汗も・・・。

 

きのう9月1日は「防災の日」。96年前20万人近い死傷者を出した関東大震災の記念日だ。子供の頃、明治生まれのおふくろからことあるごとによく関東大震災の話を聞かされた。この大震災を身をもって経験した人もほとんどいなくなり歴史上の出来事になった感がする。8年前の3月11日の東日本大震災があまりにもインパクトがあり余計にそう感じる。

 

今年も町内を挙げての防災訓練が小学校で行われた。参加者が住民の1割にも満たないと役員さんたちが嘆いていた。いま災害に遭っている北部九州の人達からみれば、我らは「平和ボケ」か。

 

 8年前の3月にあれだけの大災害があったのに、どうして9月に「防災の日」と称して防災訓練などをするのかと疑問を持つ人も多いのではないだろうか。それなら、いっそ3月11日を「春の防災の日」9月1日を「秋の防災の日」とでもしたらどうだろうか?

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けさのラジオ深夜便によると9月2日の誕生日の花はミョウガだった。夏の終わり頃から初秋にかけて発生して秋を告げる風味だ。そうめん、冷奴の薬味、天ぷら、酢の物でも重宝だ。ウチでも5、6年前には栽培していた。写真はその当時のもの。

 

 最近はあまり聞かなくなったが、昔は「ミョウガを食べるとバカになる」とよく云われていた。どんな根拠かとネットで調べてみた。学術的な根拠はないようだ。釈迦の故事に由来するようだ。釈迦の弟子に記憶力の乏しい男がいて、自分の名前すら忘れてしまう。そこで名荷(みょうが:名札のこと)を首にかけさせたが、そのことすら忘れてしまった。そこで名荷と茗荷が同音のことから、このような言い伝えが生まれたとされる。

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 「9月」と聞くと、日が短くなるこの時期、明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しているのではないだろうか。そんなことからだろう。学生時代に聞くラジオでは映画「旅愁」の中で歌われるフランクシナトラの「セプテンバーソング」が人気を得ていた。

 

時代はぐんと下がって昭和の終わりから平成にかけては竹内まりやの「セプテンバー」がこの時期になると、ラジオでもよく流れていた。どちらの「セプテンバー」も、最近ほとんど耳にすることがなくなった。

 

ベートーベンの第九(交響曲第9番)といえば年末の風物詩みたいなものだと思っていたが、そうでもない。きのうみよし市内で「夏の第九」があって、聴きに行った。考えてみれば、長野冬季五輪の開会式で、小澤征爾の指揮により世界五大陸を中継して「第九」が演奏されたこともあった。東日本大震災の後、東京で犠牲者を追悼するために演奏されたのが「第九」だった。

 

その「吹奏楽でうたう第九」が市文化センターであった。合唱は「みよし第九を歌う会」のメンバーおよそ100人。市内のコーラスグループから参加している。カミさんが以前入っていたコーラスグループからも大勢参加している上、ご近所さんも多い。毎朝のウォーキングメンバーもいる。演奏はプロの賛助出演も混じった市内の社会人吹奏楽団およそ50人だ。

 

下は中高校生から上は80歳近いジジババ100人の大合唱。指揮者と合唱のソリスト4人だけがプロで、吹奏楽も歌い手も皆アマチュアだ。それが、力強い合唱と演奏で感動を与えてくれた。感動でこみあげてくるものさえ覚えたほどだ。

 

日頃親しく接している人たちの普段見せない一面を見た思いで、こんなにも感動しただろう。ベートーベンの交響曲6番田園を東京フィルハーモニー交響楽団演奏のCDで時々聴くが、熊さん八っあんにはオーケストラと吹奏楽の音色の違い位はわかっても技術的な奥深さや巧拙などまったくわからない。だから感動もするだろう。