余命の告知の是非

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「中秋」は旧暦8月15日のこと。今年は先週の金曜9月13日が中秋の名月、翌日の9月14日が満月。中秋の名月と満月の日付が1日ずれているそうだ。13日の宵は名月を愛でるにはあいにくの天気だった。翌14日の明け方、目を覚ますとカーテンの隙間から明るい月光が差し込んでいる。雲ひとつない漆黒の空に満月ではないか。

 

「花鳥風月」と云われるように、風流人のたしなみの対象のひとつである月だ。中秋の名月を愛でる習慣は、平安時代に中国から伝わったといわれ、平安貴族もこの日、夜空を見上げていたことだろう。

 

その月も東西冷戦時代には月面着陸先陣争いの戦場となり、いまや中国とインドも参入して資源開発や軍事利用の可能性など生臭い側面も指摘されている。欲に脂ぎる人類の前では風情も詩情もあったものではない。月と富士山は征服の対象とするのでなく、遠くから愛でてこそ価値がわかる対象なんだ。そんなことが、頭によぎる令和の中秋の名月だ。

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きょう9月16日は9月15日の敬老の日の振り替え休日なのか、9月の第3月曜ハッピーマンデー敬老の日だったのかカキコにあたって一瞬戸惑った。毎日が日曜族が祝祭日を憶えるのは難儀なことだ。

 

報道によると、65歳以上の高齢者数は3588万人。国民3.5人にひとりは高齢者だとか。12年前2007年9月14日のクマさんの日記にこんなカキコがあった。「5人にひとりが65歳以上といわれ、来年からは後期高齢者医療制度がスタート・・・・」。わずか12年の間に5人にひとりが3.5人にひとりになった高齢者。

 

先日、地元の公民館で行われた長寿お祝い会でのこと。ある来賓の挨拶「社会に長年尽くしてこられた高齢者の皆様を敬愛し、長寿をお祝いするとともに・・・・」。クマさんは思った。「高齢者を敬愛し・・・」どころじゃないだろう。高齢者をどう面倒みていくかが問題だろう。と。

 

おととい14日の誕生日の花はフヨウとラジオ深夜便は伝えていた。ウォーキング沿道の農家に毎年7月中旬頃から咲いている。花径が15cm以上もあるからアメリカフヨウに違いない。開花時期も花径も深夜便の伝えるフヨウとは違うようだが、同じ葵科フヨウ属のよしみでアップした。なお、酔芙蓉はもっと小さな花で朝は写真左のように白く、夕方には写真右のようにピンクになる。

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朝晩めっきり過ごしやすくなって、路傍の草むらや荒れ地に帰化植物の小さなアサガオの群生が目立つようになった。写真左からホシアサガオマルバルコウ、マメアサガオ。共通項はアメリカからの帰化植物ヒルガオ科、花径が1.5~2cm。

 

医学の進歩で、赤ちゃんが生まれる日から性別までわかるようになって久しいが、余命がどれだけかまでは神のみぞ知る。だれしもそう思っているだろうが、今月のはじめの日経デジタル版に余命を予測する方程式を導いた先生がいることが載っていた。

 

緩和ケアの専門家である筑波大浜野講師は「自らの最期を知り、残り少ない人生を充実させたいと思う患者の望みにこたえたい」という思いから余命予測方程式を導いたという。進行がん患者1000人のデータを調べ、血液成分や心拍数など検査値パターンが生存確率を暗示していることに気付き、さらに研究を重ねて方程式を導いたという。

 

先生は生存確率を患者や家族に告げるべきか否か悩んだ末、結論は「告げるべきでない。最期まで充実した時を過ごしてもらうために自分たちはやれることをやる」だった。とかく科学者は自分の研究成果に酔って、ここまでできると深入りして、とりかえしのつかない結果を招いてしまいがちだ。原水爆がいい例だ。浜野先生の選択は素晴らしいと思う。