伊勢湾台風に思う

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残暑が続く中、今年は開花が遅いとメディアから流れていた彼岸花も、きのうのお彼岸明けを境にやっと開花が見られた。けさの家庭菜園の土手だ。咲いている株より蕾のものの方がはるかに多い。

 

きのう9月26日は台風の特異日だ。クマさんの日記を書き始めて13年、毎年この日には5000人余りの犠牲者を出した伊勢湾台風のことをカキコしてきた。それほど強烈な印象を残した災害だった。とは言っても、内陸部の多治見は大した被害もなく、土曜の夜の台風上陸で月曜からは普段通りで学校も休みにはならなかった。高校3年の受験勉強中のことだった。

 

強烈な印象を残したというのは、テレビの力ではなかったかと思う。伊勢湾台風の5年前昭和29年の同じ日の洞爺丸台風では1700人余りの人が、1年前の昭和33年の同じ日の狩野川台風では1200人余りの人が犠牲になっている。それらの情報は新聞とラジオだけだった。

 

伊勢湾台風のあった昭和34年は明仁皇太子(現上皇)と美智子妃殿下(現上皇后)のご成婚パレードがありテレビが爆発的に普及した年だった。わが実家もそのブームにあやかったのだと思う。地元テレビ局が活躍して被災現場を写していた記憶がある。改めてテレビの映し出すリアル性の力を思い知らされたものだ。

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振り返ってみると、甚大な被害を出した洞爺丸台風伊勢湾台風を教訓に大きな取り組みが動き出したのだ。洞爺丸台風では函館・青森間の青函連絡船が沈没して日本最大の海難事故となった。その災害を機に青函トンネルの機運が高まり、難工事の末平成63年に開通した。連絡船で4時間かかっていた函館・青森間が、北海道新幹線の開通で約1時間と大幅に短縮された。

 

一方、伊勢湾台風の後、国民の生命や財産を守るために、国や地方自治体などが協力して防災体制を整えて行く災害対策基本法がつくられた。以後、犠牲者が1000人を超す台風被害は出てないそうだ。

 

だけど、最近は異常気象によって「想定外」という災害が増えている。この想定外の事態も、どれだけ想定内に収めて考えられるかがポイントだと思う。その時に役立つのが過去の教訓を生かすことだろう。

 

ナンバンギセルは9月22日の誕生日の花。花の姿が南蛮人といわれたポルトガル人やスペイン人などの船員がくわえていたマドロスパイプに似ていることからのネーミングだ。

 

 草丈10〜20cm。赤紫色の美しい大きな花がススキの根元でうつむいて隠れるように咲く。この花は葉緑体を持たないため自活できず、「全寄生植物」といって、自分では養分を作らず、ススキやミョウガに居候して栄養を調達する。