蘇った日光東照宮

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台風18号が去った週末金曜から日曜までの3日間ツアーに参加。「華麗なる松島・会津磐梯・日光」と銘打った企画。名古屋から中央線特急ワイドビューしなの塩尻まで行き、そこからバスで周遊する旅程。宿泊は1日目が裏磐梯のグランデコ東急ホテル、2日目が磐梯山の表側の星野リゾート磐梯温泉ホテル。いつものご近所さん麻雀仲間と参加した。

 

 第一の目的は、中学の修学旅行以来行ってない日光東照宮の平成の大修理が終わって、どんな姿になったか見てみたかった。第二は、両日とも名の通ったリゾートホテルにしては料金が安い。第三は8年前の東日本大震災が起きて2週間後に不謹慎だという後ろめたさを引きずりながら中欧旅行に出かけてしまった。松島海岸の復興ぶりを見て罪滅ぼしをする機会だと捉えた。

 

台風18号日本海に抜けて温帯低気圧に変わり、東海地方は暑かったようだが、日曜日の日光などは土砂降りの雨だった。日曜日とあって晴雨に関係なく凄い人出だ。それがイヤだから平日の日程を選択したが、日曜の入るこの日程に変更させられてしまった。

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 表参道から奥に見える石鳥居をくぐり、神域へ。遠近法で鳥居が高く見えるよう、石段は上に行くほど幅が狭く、一段の高さも低くなっているそうだ。日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀るお宮が由来だそうだ

死後も江戸の真北にあたる日光から幕府の行く末を見守ろうとした家康の社は、三代将軍・家光により、現在のような豪華絢爛な姿になったといわれる。境内にある国宝、重要文化財の建築物には、どれも芸術作品のように見事な細工が施されている。

 

古今東西を問わず、権力者はキンキラキンに飾り立てることがお好きのようだ。なんとか大聖堂とかモスクみんなそうだ。ガイドの話によると、家光は5年の間に延べ400万人の人を使ってこれだけのものにしたとか。それに狩り出された民衆のことを思うと、超ブラック企業の親方より酷いことをしていたものだ。

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 日光東照宮と云えば、陽明門だ、2017年3月、国宝「陽明門」が44年ぶり、4年間をかけた大修理を終え、色鮮やかに蘇った感じだ。これほどの大修理はこの先100年はないとガイドは言う。

 

 高さ約11m、幅約7mの門は圧倒的な存在感だ。遠くから見ると、白と金色の印象が強い近づくと、おびただしい数の極彩色で精緻な彫刻に思わず言葉を失うといった感じだ。建築様式、工芸、彫刻など、江戸時代のあらゆる文化が凝縮されている。

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 「神厩舎(しんきゅうしゃ)」と呼ばれる神馬の厩(うまや)の屋根下に、あの有名な「三猿」の彫刻がある。、それにしても、なぜ厩に猿なのか?それは、猿が馬の病気を治したというインドの故事にならってのことだとガイドは語る。。

 

「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名な三猿の彫刻だが、実際には正面と側面合わせて8枚の彫刻があり、人の一生を描いているそうだ。「見ざる・言わざる・聞かざる」。悪いことは見ない、言わない、聞かないという、親から子どもへの躾を表しているそうだ。修理を終えた三猿は色鮮やかで美しく、まるで生きているような躍動感に満ちていた。

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 美しく修理された日光東照宮でもうひとつ有名なのが、「眠り猫」だ。家康の眠る墓所「奥宮」に通じる門の上部に刻まれている。「猫がのんびり眠っていられるほど平和な世の中になるように」との願いが込められているのだそうだ。

 

古ぼけたモノクロ映画のような、60数年前の修学旅行のときのおぼろげな記憶の東照宮陽明門が、三猿が、眠り猫が、カラーリメイク版のようになって強烈な印象で蘇った。もうひとつのおぼろげな記憶、「鳴き竜」は撮影・録音禁止だった。ガイドいわく。名古屋からのお客様が来たら、竜は鳴き、登り竜になる。ドラゴンズ来年の優勝間違いなし。ナイス、リップサービスだった。