「令和新山」&不滅の江戸弁

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きのうは二十四節気の「霜降」、きょうは大雨警報が出るほどの「雨降」。窓の外の雨粒が見えるほどの激しい雨だ。プロ野球日本シリーズも弱いジャイアンツをさらけ出して、あっけなく幕。ラグビーW杯も、まだ決勝戦、3位決定戦が残っているものの、健闘むなしく桜が散ってしまって、なんとなくあっけない幕切れの感じだ。「一億総スポーツロス」とでも言おうか。

 

突如として「令和新山」の出現。わが家の南、緑地帯と竹藪を挟んだ100mくらいの先に住宅開発がされる以前は広大な鶏舎が立ち並んでいた千坪ほどの空き地がある。今年のお盆を過ぎた頃から、ダンプカーが出入りして裾の長さ70~80mほど、高さ10以上の土砂の山が出来上がった。わが家から竹藪越しに眺めるとまるで、新しく山が出現したかのように見える。それを称して、「令和新山」。

 

その山が最近、日に日に削り取られ低くなってきた。わが家の東側を南北にはしる県道を挟んだ東側の空き地の埋め立て用の土砂の仮置き場だったようだ。その空き地は産業廃棄物の投棄場所だったので、来年4月から始まる開発事業に先立って埋め立てをしているようだ。

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毎朝のウォーキングコース沿道にはこのような未開発の土地があり、みよし市はまだまだ“のびしろ”があるといえるだろう。4月から始まる開発事業の規模は7.3ha。名古屋ドームの約1.5倍。計画戸数は196戸。診療所、店舗、飲食店ができ、公園・緑地・調整池が配置されるそうだ。

 

ウォーキングしながら、キジやリスに出会い、栗やあけびや梅を採った地も、思いでの場所になってしまうこと。開発とともに40数人で地主から借りた土地でやっている家庭菜園もなくなり、同時に麻雀荘も廃止せざるを得なくなること。それらはすべて時代の流れか。こんなことも自分史の中では、書き留めておく必要のある大きな節目のひとつだろう。

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学生時代の東京の友人から久しぶりの電話があった。相変わらず、歯切れのいい東京弁だ。「朝日新聞」を「あさひ」と云えない。「あさし」になる。全国からの移民都市東京でも三代続くとこうなるだろう。ほんまもんの江戸っ子だ。秋葉原を「あきはばら」でなく「あきばはら」というクマさんに田舎もん呼ばわりしていた奴だ。

 

 「待たせちまったネ。遅刻しそうになったからサ。朝めしも食わずに来ちまったヨ」などと「それでサ、それでネ、それでヨ」というのが東京弁の特徴だった。彼に言わせると、東京の方言である東京弁は学校で「ネサヨ運動」と称した東京方言を使わせない運動で使われることが少なくなったという。

 

 「山の手の中流階級の言葉」を標準語として使わせようとする国家事業で、下品な下町言葉である東京弁は「ネサヨ運動」などにより徐々に使われなくなったという。我々から見たら、東京弁と云われる下町言葉も山の手言葉である標準語もまったく区別がつかないが・・・。

 

 東京弁を話す人たちが少なくなった要因は、関東大震災と戦災、東京五輪、バブル期の地上げなどにより、下町も山の手も混在化したことが大きいのではないかと思う。いくら、東京弁を使う人が消滅しても、「スーパードライ」のビールは何だっけ?と聞いて「アサシ」と答える江戸っ子は永遠に不滅だろう。