歌は世につれ世は歌につれ

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立冬」越えの最初の週明け、照ったり、降ったり、時折ゴロゴロ。まるで北陸の初冬から冬にかけての天気みたいだ。いくら暖冬といっても、ウォーキング道すがらの景色も「行く秋」を感じさせるものとなってきた。舟ヶ峪池をとりまく林が水面(みなも)に深い緑色の影を落としていたが、その影も黄褐色や黄色を帯びてきた。   

 かと思えば、一方では黄色いセイダカアワダチソウの傍らで、真夏の花の高砂ユリがまだしぶとく咲いている。カエデの紅葉が始まり、初霜をみるまではまだら模様の三好丘の「行く秋」だ。

 先月の22日の天皇即位の礼に引き続き行われる予定だった祝賀パレードが台風の影響で延期となり、きのう10日に行われた。その前夜祭ともいえる奉祝式典が皇居前広場で土曜の夕方行われた。嵐が奉祝曲を歌ったり、女性歌手が君が代を歌った。奇しくも、昼間のウォーキングの際、丘陵の土手に咲いている君が代蘭(キミガヨラン)の写真を撮っていた。それが、どうした?めったにないことだ。快哉だ。

ラジオ深夜便によると11月9日の誕生日の花はコウヤボウキだと伝えていた。この花2年前の今頃、東山植物園の観察会に参加して散策路で初めてお目にかかった。枝先に、白い、ほうきをひっくり返したような花が咲いていた。 花の形ではなく、枝を高野山で「ほうき」に使ったところがこの名の由来だそうだ。 菊科コウヤボウキ属

 

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7月にみちのく津軽・下北両半島のツアーに参加した。先日その時の写真を整理していて、ネットでちょっとした調べ物をしていた際、吉幾三作詩、作曲の「TSUGARU」(津軽)という歌の歌詞とユーチューブに行き当たった。ためしに聴いてみた。強烈な方言がほとばしるラップミュージックだ。年寄りの会話調で歌詞がはずむ。

 ♪♪おめだの爺(じ)コ婆々(ばば)どしてらば?

俺(おら)えの爺(じ)コ婆々(ばば) 去年死んだネ

おめだの兄さま どしてらば?

俺(おら)えの兄さま 知らねじゃわ

東京(かみ)さ行ったって 聞いたばって

   ・・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・・・・

何年 ふるさと 背を向ける

そのうち絶対 バチあたる

   ・・・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・・・・

生まれた津軽を なめんじゃねエ !!

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 出だしと途中のごく一部だけの歌詞は上のようだ。口をつく嘆きは津軽から東京や海外に出て行った息子や娘らが里帰りしてこないこと。続いて、寒さの中での医者通いや「いっぺい(一杯)やるべし」と憂さを晴らす姿もリズムに乗り、地方での高齢者の日常や思いをリアルに描いている。

 若者がふるさとに背を向ける引き金となったのは1964年の東京五輪開催だろう。大河ドラマ「いだてん」では今週あたりその辺のところに入っている。集団就職者の愛唱歌として知られた井沢八郎の「あゝ上野駅」もこの頃だ。

 東京五輪から20年も経つと、若者が都会に出てしまい、活力を失い何の娯楽もないふるさとから都会への脱出をめざすラップ調の「おら東京さ行くだ」を吉幾三はヒットさせている。その20年前に流行った「あゝ上野駅」は悲壮感が漂っていたが、ラップ調の「おら東京さ・・・」はあっけらかんとした明るさだ。所得倍増、高度成長のせいだろう。

その「おら東京さ・・・」から30余年、今回の「TSUGARU」(津軽)は残された側の心情を歌にしたものといえるだろう。「歌は世につれ世は歌につれ」とはよく言ったものだ。