病床で思ったこと

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きのうのカキコで「早春賦」の歌詞をもじって「冬は名のみの・・・」と冬将軍をおちょくったら早速その仕返しだ。けさは今季一番氷点下2度の朝だ。舟ヶ峪公園の梅の写真を撮りに行くほどまだ元気なし。2年前の写真でお茶濁しとしておこう。

 

病院暮らしをしていると、世俗の雑事から解放された気楽さはある。ルームサービスの食事。音楽を聴きながら本や新聞を読む。これが、ホテルの一室でのことならいいが、固いベッドにナースコールのコード、テレビは千円のテレビカードを挿しこんで・・・。消灯は10時。脳裏に描く思いは、どちらかといえば、暗い後ろ向きのことばかりだった。以下はその中のひとつ。

 

 スイスで安楽死することを希望する日本人女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿を追ったドキュメントを一昨年NHKスペシャルで放映して話題を呼んだ。橋田壽賀子の「安楽死で死なせてください」がベストセラーになった。樹木希林のベストセラー本の副題に「死ぬときくらい好きにさせてよ」で多くの共感を呼んだ。

 

昭和天皇が「もがり」で葬送された。死者に腐食化など肉体的な死の兆候が出るまで埋葬せず、その期間で死を認知する習慣だ。今の上皇天皇時代にこの習慣の廃止について言及され話題を呼んだ記憶がある。

 

およそ1世紀前、森鴎外は小説「高瀬舟」で弟を安楽死させた兄を描き、安楽死尊厳死について問題提起した。医学界や法曹界や宗教界ではこの間議論されて来ただろか?

 

高齢化社会に続いて来る多死社会になってしまってからでは遅い。「心臓死」「脳死」「安楽死」「緩和ケア」など「死」とその周辺事態について広い視野からその定義を見直す時期にきているのではないだろうか。