スバル360

朝からの雨。どうも昨夜来の雨のようだ。雨音が窓越しに聞こえた。寒さがない。春を告げる雨のようだ。2〜3日前の”光の春”から転じて、どうやらきょうは”音の春”のようだ。予報通りお昼前には雨も上がり午後には青空が・・・。麻雀に打ち興じている人々も麻雀荘のストーブを切って窓を開け放つ。心地よい春の風だ。”気温の春”を肌で感じる。”音の春”と”気温の春”を一挙に体感した2月最後の日だ。しかも、今年はおまけの29日で余計にトクした感じだ。
 


けさの新聞に出ていた。昭和33年以来「てんとう虫」の愛称の親しまれた軽乗用車スバル360。高度成長期の自家用車ブームに貢献してきた富士重工業が軽自動車の生産を昨日で終了したそうだ。このスバル360は我が人生の中でもひとつのエポックだった。

 
このスバル360が発売され始めたころ高校生だった。4人の仲間で30歳までに自家用車を持つと血判状を書いてそれを我が家の額の裏にしまっておいた。30歳になった時に4人立ち合いで開き、自家用車を持てなかった者は罰金を払うという趣旨のものだった。



その血判状の存在すら忘れてしまっていた昭和42年。翌年の結婚式を控え、とにかく四つの輪っぱがあり、雨が凌げる自家用車が欲しかった。入社3年目の若いサラリーマンには中古の軽四輪くらいしか手が出なかった。かくして我が人生で初めて自家用車のオーナーになったのはスバル360だった。金沢に居た時のことなので、この車で白山の麓の中宮温泉とか福井の越前岬など当時は未舗装装の道路が多い観光地へもしばしば訪れた。今から思うと、こんな車でよく行ったものだ。





自家用車のオーナーになることが夢のまた夢の時代に、その夢を叶えさせてくれたスバル360.今では博物館でくらいしかお目に架かれない懐かしい車だ。社会人になって10年以上経ってたまたま血判状の4人が集まった時誰となくその話を持ち出した。高度成長の時代のおかげで4人とも30歳までにはオーナードライバーになっていた。


今や省エネ時代、低燃費の軽自動車は再び脚光を浴びているが、自動車業界の再編で軽四輪生産の終了を余儀なくされた富士重工業。わが夢を叶えさせてくれ、色々な思い出をありがとう。と礼を言いたい。