3・11に思う


夕方から降り始めた雨、朝の天気から誰が予想できただろう。きっと天気予報の間違いだとさえ思ったほどだ。ことほど左様に朝から青空が広がり、日が高くなるにつれ眩しいほどに光り輝いている。まさに春の陽射しだ。だが、寒の戻りらしく、風が冷たい。この光り輝く陽射しを浴びて、家庭菜園の土手にある2本のサクランボ、蕾がはじけてチラホラ開花している。きのうのカキコ、日本人の好きな梅と桜の続編だ。ふながや公園の梅林とサクランボの花が同時に咲いている。サクランボはソメイヨシノの1週間から10日ほど前に開花すると言われているから、世に言う桜の開花も近いだろう。


東日本大震災はきょう11日、発生から1年を迎えた。マスコミは先週から1周年の大キャンペーンの様相だ。死者、行方不明者が2万人近い。これだけの大災害だから当然のことかもしれない。3・11は鎮魂の日として、もっと静かに記憶すべきでないかとさえ思えてくる。


1年前の発生当時は、明治維新終戦に次いで第3の国の変革が起きるのではなどとクマさんの日記にカキコした記憶がある。1年経って見方が変わった。世は「絆」と「がんばれニッポン」の大合唱だ。この大合唱に原発事故の責任や復興の遅れへの追及がかき消されてしまっているのではないだろうか? 「絆」を「竹やり」に、「がんばれニッポン」を「欲しがりません勝つまでは」に置き換えた戦前の軍国主義の精神論と変わらない。どこかで、情報操作をしているのではないかとさえ思えてくる。

そんな皮肉な見方もしたくなる、「絆」「がんばれニッポン」大キャンペーンだ。

クマさんの日記、あす月曜から水曜までお休み。