いろいろ思いつくこと


青空が広がったが風が冷たい。やはり、暖かさを運んできた使者は後ろに寒気を連れていた。気象予報士さんの言うことは間違いなかった。グラウンドゴルフに行くにも防寒ジャンパーかウィンドブレーカーか迷わされた。だが、陽射しは強い。午後彼岸の墓参りに行く時には運転するのにサングラスをかけたほどだ。


ウチの庭にも”光の春”だけではなく”香りの春”も到来したようだ。秋のキンモクセイと並んで姿を見るより先にその香りで存在がわかる沈丁花が咲き始めた。


われらは”光の春”だの”香りの春”などと言っているが、いつ春が訪れるのかわからない人々が隣の国にいると思うと心が痛む。民衆を飢えさせながらのミサイル発射を予告する北。この冬の厳しさに耐える人々に「春」はどんな形でいつ訪れるだろうか?高校の同級生が帰国運動で北に渡り4年ほど前に亡くなっただけにその思いが余計に強い。


この北のミサイル発射予告に対してきょうの国会で田中防衛相は迎撃ミサイルで「破壊措置命令」を出すことを検討していると述べたそうだ。この人がこんな答弁をすると国民の8割以上は「大丈夫かな?」と思うに違いない。それに引き換え大震災の復旧活動で迷彩服とヘルメットが、なんと頼もしく見えたことか。この国を支える、名もなき人々だ。


かつては自衛隊員の親を持つ子が学校でいじめにあうことがあった。自衛官は成人式に参加させないという、革新政党労働組合の「闘争」がまかり通っていた。時代と言えばそれまでだが、このような過去をかえりみる声をほとんど聞いたことがない。どういうわけだろう。