本当は淋しいアメリカ人


朝晩は秋、日中は3日連続の真夏日。あと8年後しか見られない満月の中秋の名月中秋の名月といえば月見。丸〜い月を見ながらだんごを食べて・・・。風流だ。でも、去年今年はたまたまそうだったけれども、必ずしもまん丸な満月とは限らないのだ。中秋の名月は旧暦の8月15日、八月の十五夜を指すのだから、必ずしも満月になるわけではないのだ。そう、だったのか。初めて知った。



今月はじめ余りにも美しい色の花だったので、名前不明のままアップしたがやっと名前がわかった。この花、ルリマツリというそうだ。


生涯学習講座の秋冬講座が始まった。国際理解講座は愛知学院大学木村教授の「本当は淋しいアメリカ人」表向きと内心のギャップから米国人の内面を探って行き米国人像を浮かびあがらせようとする内容。硬い内容の上、休憩時間の間にA4の白紙に感想を書かせるなど、まるで大学の講義のようなもので参った。


木村教授は高校時代イリノイ州の小さな町にホームスティして高校に通った。1950〜60年代のアメリカのホームドラマに描かれている世界と氏の垣間見た現実の間には大きなギャップがあった。例えば、表向きでは自由で楽しそうな高校生活だが、現実は宿題と優秀者名簿へのプレッシャー。表向きはフリーセックスだが、現実は個人主義のため人間関係が希薄で、セックスを通して人間関係を得ようとして集まる夫婦交換パーティー


(クマさん流解釈)米国人の心のよりどころは「自立」と「自己責任」。そんな米国で生きてゆくためには成績優秀者名簿の上位ランクされなければならない。勉強をする一方彼女とデートする余裕もあるという自己顕示をもしなければならない。米国社会は一事が万事背伸びした自分を出さねばならない。過剰な自己顕示も個人主義による人間関係の希薄さも孤独が強くなるものである。孤独は淋しい。「本当は淋しいアメリカ人」こんなことかしら? あぁ、疲れた。