年齢情報


寒いっ!天気図では西高東低の気圧配置。朝から冷たい強風が吹きまくり一気に冬モードに入った感じだ。お江戸の永田町からの解散風まで吹き荒れている。きのうは年賀状欠礼の挨拶状、きょうは新年会の案内状が届く。もうそんな時季になったのだ。つい先だってまで青々としていたウチのモミジも、いつの間にか風当たりのいいてんっぺんの方から紅葉を始めた。


元の同僚たちと毎月の飲み会をすると、先輩、後輩の話題が出る。その話題に上る人物は必ずといっていいほど何年入社の何某と、入社年次が語られる。このことが、エライ学者に言わせると、いまだに年次による昇進制度を固守している象徴で社会的に悪影響を及ぼしているらしい。


エライ先生は更に、新聞や雑誌では人のプロフィールには年齢が書かれている。年齢は必須情報として扱われている。この年齢情報へのこだわりが様々な弊害を生んでいるとおっしゃっている。具体的には年齢情報のこだわりが、発想の幅を狭めたり、人材活用の面でも新卒主義の行き過ぎになり経験・能力を重視する人事システムの妨げになっている。と。


学問や実業の世界ではそうだろう。下世話な熊さん、八っさんの世界では「一回り下の奴が社長か」とか「喜寿を過ぎてもまだへばりついている。老害だ。」などと年齢情報は欠かせないコミュニケーション資源だ。