優先席にあなたが座る


いつのまにか立夏だ。見渡せば周囲はすべて新緑だ。家庭菜園の西の端にでんと構えるけやきの老大木、1月の下旬にはすっかり葉を落とし骨ばかりの姿で落日に照らされていた。(下の写真は昨年の1月のもの)芽吹いた木々が日に日に葉を広げて周囲を緑にして行く。わずか3.4ヶ月ほどの間にこんなにも若葉が生い茂っている。


[春の暮れ]は華やかさに寂しさがにじみ、秋の暮れは寂しさに華やかさが潜んでいる。「春の暮れ」。翌日のきょうが立夏だから春の終わりでもあるし、春の夕暮どきでもある。両方の意味を兼ね備えてあえて「春の暮れ」と使ってみた。



先日配信されたメルマガ。世の中色々な考えがあるものだと感心すると同時にこれはどうかな?と考えさせられるテーマ。ジジババの静かなる茶の間の話題提供でもあった。


メルマガの投稿者が、ある本に乗り物の優先席についてこんなことが書かれてあるのを見つけた。なんと、「優先席にはあなたが座ろう」というのであった。空いている優先席に「あなた」が座ってキープしておく。もしお年寄りや妊婦さんなどが乗ってきたら、「あなた」が席を譲ってあげよう、というのである。



「空いていても優先席には座らない」という人が多い。でも、あえてそこを自分がキープしておく。誰か心無い人に座られないように。投稿者はこんな考え方もあったのか、と驚くのと同時に、何だか空しさも覚えたという。投稿者はこう結んでいる。賛否両論でしょう。でも、ここまで社会のことを考えて実践している人がいると思うと嬉しくなりました。そこに思いやりの心があれば、あれも正解、これも正解。


「優先席にあなたが座る」ことは、社会全体に公徳心が根付かないため”やむにやまれず”すること。残念だが正道ではないと思う。それとも、優先席を有効利用しようとする合理主義者の考えかもしれない。いずれにせよ、優先席を必要とする人がいつでも座れるような公徳心が社会全体に根付くようになってほしいものだ。クマさんの場合は席を譲るはずの「あなた」が譲られるトシになってしまっている。締まらない話だ。