三好丘移住20周年


きのうからの雨も夜明け前には上がって、青空が広がり穏やかな陽気の師走だ。暦ばかりが先走って、陽気は1ヶ月も後ずさり。なんともアンバランスな師走だ。なんて言ってる間に今年も余すところあと1週間だ。冬至を過ぎたら師走の日々の足の早いこと。もう大晦日へ向かってまっしぐらだ。                        


枯れ野と化したウォーキングの道すがら、異彩を放っているのがスイセンだ。雪の中から春を告げる花として「雪中花」と別名があるほどだが、この辺りで咲いているのは早咲き系のものだろう。早咲きといえば、ウチの庭でムスカリがもう色づいてきた。冬至が過ぎて一陽来復の兆しだろう。



きのう12月23日の天皇誕生日、終の棲家のつもりでここ三好丘に越してきて20年目のメモリアルディだった。越してきた時は家族5人だったがこの間に娘3人は嫁いで夫婦ふたりだけになってしまった。


振り返ってみれば、ここ三好丘での生活が生涯で一番長い定住地になりそうだ。文字通りの終の棲家になりつつある。大雑把に、生まれて22年は多治見(高校までの18年と社会人になってからの2年、豊田に家を建てるまでの仮住まい2年)4年は東京での大学生活、金沢10年、豊田18年、三好丘20年(内大阪単身5年)+α。



豊田から三好丘に越したのは豊田の保見団地の中に外国人が多くなり風紀が悪くなったこと、一家に5台の車を収容するスペースがなくなったことなどだった。このみよし市、数年前に住みやすさ日本一にランクされた通り「適度に田舎があり適度に都会がある」本当に住みよい都市だ。みよし市の中でも三好丘はリタイヤーして10年、周りの人たちもいい人ばかりでどっぷりとこの地に浸かりこんでいる。


そんなこんなであっという間に過ぎた20年。この先の20年なんて視界圏外だ。シュミレーション可能圏はせいぜい10年だろう。それだけに元気なうちにやりたいことをやっておかないという”あせり”みたいなものを感じる。その一方では、あと何年元気でおられるかなどと”不安”を感じる。あっという間に走りぬけた20年と”あせり”と”不安”だらけのこの先だ。


そもそもレースというものはスタートとゴールの地点が決まっていなければならないものだけど、人生レースにかぎってはデスマッチで死んだ時がゴールなのだ。だから、レースのペース配分が大変難しい。三好丘来住20周年の翌日のクリスマスイブ。毎日がサイレントナイトだから、今夜くらいカミさんとレースのペース配分でも語り合うか。