毒ぶどう酒事件

mikawakinta632006-12-27

ガキ仲間のブログで「毒ぶどう酒事件」のことで議論が沸騰している。小生が、「一般のおじさん、おばさんはこの裁判がどう転ぼうが大して興味はない。 それなのに新聞は正義の味方づらをしてえらく紙面を割いている。」そんな意味のことをカキコした。


そうしたら、「人の命を虫けらのように考えているのか!」とか「いい加減な裁判官が判決を下すことに怖ろしさや怒りを感じないのか!」とか「ボケ封じの寺へお参りに行ったらどうだ」などと反論があった。


そこで、小生が反論。
 「自白や動機の信用性」とか「物証の評価」とか「疑わしきは被告人の利益に」とかに主眼点を置いてこの事件を考える者もいれば、理屈はともかく半世紀近くも白だ黒だとやっていい加減にしたらどうだ。というものもいる。

インタビューされれば前者と答えても心の中では後者の者が圧倒的に多いのではないだろうか?  ましてや、裁判員制度が始まってこんなことに関ったらヒドイ目に遭う。と考えてしまう。 毒ぶどう酒事件はどっちへ転んでもいいから、裁判員制度が始まったらこんなことにならないようにしてくれというのが、「いい加減にしてくれ」派の声なき声だろう。


ボケとか聡明の問題でなく判断基準の違いだと思う。たとえ前者が「理性的判断」で「善」後者が「感情的判断」で「悪」とされても、「声なき声」に耳を傾けなければならない時もあると思う。