たった一本の大根

悠学カレッジ「ブログをはじめよう」講座の卒業生のひとりのブログ「そよ風日記」をきのう読んだ。
こんな写真が出ていた。 mokomokoさん、ちょっと失敬します。よろしく。

豊作で捨てられている大根なのだ。 コメントに思わず「もったいなぁ〜い」と書いた。


きょう、メルマガを読んでいたらこんな話が出ていた。

ある人が、なにか他人の役に立つことことをしようと思い立ち、一人暮らしをしている近所のお年寄りの家の前の道に、穴ぼこがあいていたことに気づいたそうです。


この穴ぼこは、いつも雨が降ると2、3日水溜りが残ってしまい、お年寄りが乳母車を押して通る時、よけて歩くのがとても大変そうに見えたそうです。そこで、朝の散歩の途中で、その穴ぼこを埋めようと考え、近くの海岸から砂を持ってきて、埋めたそうです。


そして、何日かかけて5メートルほど平らにしたある日の朝、その人の家の玄関先に1本の大根と、「いつも見ています。ありがとう!」と書かれた手紙があったそうです。
その人はとても嬉しくて、その大根を家の仏壇に供え、今日夕飯に頂くのだ、と話していたそうです。


たった一本の大根が人の心と心を結びつけ、心を和ませているかと思えば、経済原則に従って大量に捨てられてゆく大根もある。 なんとも、複雑な心境だ。 「情緒」と「論理」は相容れないのか?