時代遅れ?の美談

子どもたちが夏休みに入ったと思ったら梅雨明け宣言。本格的な夏、到来だ。
夏のバカンスに関係のないサンデー毎日族は、秋が来るまでおとなしく蟄居だ。


きのう配信のメルマガ、こんな話が美談として載っていた。少々考えさせられた。

ある男性の住まいの近くにある干潟が埋め立てられることになり、現場に行ってみると大小のゴミが捨てられ悪臭を放っていた。その男性は一人でゴミ拾いをはじめた。その一方でダンプによる不法投棄も続けられていた。


毎日続けられているゴミ拾いに触発されて近所の主婦が一人、二人と手伝ってくれるようになった。やがて、その姿が新聞で紹介され、ゴミを捨てる人もなくなり、その干潟は水鳥の生息地としてラムサール条約にも登録された。
たった一人の力がみんなの心を動かした。そこまで、なんと13年かかったという。


他人の嫌がることをひとりでコツコツと13年もかけてやってきたことが、周りの共感を呼び実を結んだと言う美談。
確かにたった一人の力が、大きな力となった美談に違いないし、その男性に敬意を払うが、果たして 良し悪しは別にして今のスピード時代には時代遅れの美談ではないだろうか?


もし、自分がその男性の立場だったら、住民運動なり何らかの組織で行政を動かして干潟の浄化をしただろう。
その男性は自分の力で自転車を漕いで、時間をかけてゴールを目指したが、今の人間は車のエンジンの力を借りて自分でハンドルを握ってゴールを目指すだろう。


<きょうの一枚>  ヘクソカズラ(別名 サオトメバナ)  自宅  7月19日

二つの名前で二つの顔を持っている。サオトメバナ、名前にふさわしくオトメチックな花を咲かせ、ついつい気が緩む。
気を許していると、どんどんつるを伸ばしフェンスを占領してしまう。 それを刈り取ろうとすると、ヘクソカズラの顔を覗かせる。葉やつるの組織が傷つくと異臭を放ち、ヘクソカズラの面目躍如といったところだ。