兵馬俑(へいばよう)

       
西安の中心部から東へ30数キロの郊外にある兵馬俑坑博物館。紀元前210年に没した秦の始皇帝の陵墓の東側1.5kmの場所にある。3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600余体、兵士俑が6千〜8千体あると言われている。兵士はすべて等身大(との説明だがガイドブックでは平均身長178cmとある。紀元前の中国で178cmとは少々大きすぎる。屈強な兵士を誇張するため等身大より大きく作ったのではないだろうか)1体1体みな表情や服装、装備が異なっている。現在も発掘中。



もっとも大きな1号坑。巨大な体育館みたいだ。発掘された兵士や馬の像がひとつひとつ並べられている。まずはその数の多さに圧倒される。次に1体1体の精巧な作りに驚かずにはいられない。生きてるかのようだ。




ガイドさんの説明。来世に旅立った始皇帝を守るために配備された軍隊と思われていたが、次々と発掘される文物群からは生前の生活そのものを持って行こうとしていたことがうかがえる。そのため、未だに陵墓の発掘に手が付けられない。美女千人が生きたまま埋められたとか、棺の安置された部屋の天井には金銀の財宝が無数にちりばめられているということがまことしやかに語られているからだそうだ。




エジプトのピラミッドにしろ、日本の仁徳天皇陵奈良の大仏にしろ時の為政者が権勢をふるって、今から考えればとんでもないものを作った。そして、弱い立場の一般人が泣かされた。泣かされた者からすればとんでもない暴君だ。考えてみれば、世界遺産といわれるものの大半は歴史を遡ってみれば”暴挙”の副産物だろう。


かつて弱い人たちを泣かせてきた暴君も、その暴挙が何千年、何百年経った今貧しい人たちが生きてゆくための重要な観光資源として息づいている。罪滅ぼしをしている。とんでもないスケールの世界遺産に接してこんなことを感じる。