木をみて森を見ず


おととい、きのうより風も穏やかで陽射しに春のぬくもりを感じる一日。こんな日に光り輝いて一面に広がる菜の花畑は壮観だ。代表的な春の風物詩と言えよう。この菜の花って、人それぞれにどういう情景で見るのが一番いいのか様々ではないだろうか?森として見るのがいいのか木として見るのがいいのか?                                  


四つ池南の菜の花畑もウチのウッドデッキから眺めると黄色い四角いじゅうたんを敷き詰めたようで、春の日に映えて色鮮やかだ。この菜の花畑の北側の道路に沿って桜並木が続く。満開の桜並木と黄色いじゅうたんを敷き詰めたような菜の花畑。このようなアングルで見る菜の花畑が一番見ごたえがある。いわば、1本ごとの木を見るのではなく森として捉えた菜の花畑だ。




こちらは、1本ごとの木も活かしながら森としての広がりも主張したいアングルだ。菜の花畑の中にモデルを入れたら素敵なフォトになるだろう。




こちらは菜の花畑を森として見るのではなく、菜の花という花自体を主張したいアングルだ。



花鳥風月の世界と政治の世界ではまったく異次元ではあるが、今の政権は木を見て森を見ないことが多すぎる。消費税法案に数字を入れるか入れないかに何日ももめ続けている。一方、ソウルでは核安保サミット。唯一の被爆国であり、原発で大事故を起こして国際社会から援助を受けている日本の首相が遅刻して早退するような出席の仕方。首脳外交はまったくこなすことができず。これでは、ますます国際社会から置いてきぼりだ。